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KENTO MORI

マドンナも認める世界的ダンサー、
ケント・モリが捉えるダンスの形

10 8/10 UP

Photo:Takeshi Hamada Text:Takeshi Kudo, Satoko Muroga[RCKT / Rocket Company*]

昨年夏、マドンナのコンサートで急逝したマイケル・ジャクソンの追悼ダンスを披露し、一夜にして世界中から注目を浴びた日本人ダンサー、ケント・モリ。彼の初となる自叙伝が、マイケルの一周忌である6月25日に発売された。彼の眼に映るアメリカショービジネスの裏側とは、そして彼が目指す表現者としての頂とは。

KENTO MORI

2008年、マドンナの専属ダンサーに選ばれワールドツアーに参加。2009年にマイケル・ジャクソンの専属ダンサーに選ばれるも自ら辞退。現在はアメリカでチャカ・カーンやニーヨのダンサーを務めながら、世界を舞台に活動の幅を広げている。今年6月、自叙伝『Dream&Love』(扶桑社)を発売。

http://kento-mori.com

 

──
ダンサーという職業は、ミュージシャンや俳優と比べて、リアルな部分が一般に伝わりにくいんじゃないかと思っています。世界的なエンタテイメント業界の最前線で、ダンサーが置かれている状況、ポジションというものを、どのように捉えていますか?
「ダンサーが置かれている状況は、日本でもアメリカでもさして変わりません。アーティストのバックダンサーか、ダンススタジオで教えている先生というくらいの存在。アメリカでは、ゴールデンタイムにMTVなどでダンス番組が放送されていて、一般の人がTVの前でダンスを観る習慣がありますが、日本ではまだまだないですよね。深夜の時間帯にダンサーをTVで見掛けることはあっても、プロ野球の松井選手やサッカーの本田選手のファンだというレベルで、好きなダンサーの名前を挙げられる人なんてほとんどいないと思います。だから僕は、日本のストリートダンサーがアーティストとして成り立つ可能性を、“ケント・モリ”という一人のダンサーを通して見せていきたい。それがこの先の日本ダンス界の地位向上であり確立でもある。そのモチベーションが、今回この本を通して伝えたかったもののひとつです」

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ケントさんのパフォーマンスのクリエイティビティの中に、日本人ならでは繊細な表現など、日本人“だからこそ”という部分は存在するのでしょうか?
「一概に言うのは難しいですね。日本人でもがさつに踊る人はがさつに踊るし、僕が繊細な日本人かと言ったら、アメリカでも日本でも『お前ほどクレイジーなやつは見たことがない』って言われるくらいだから(笑)。ただ僕自身、日本人であることを誇りに思うし、ダンサーとしてのアイデンティティの中に、日本人であることが大きく含まれています。ヒップホップやソウルミュージックのカルチャーは向こうにルーツがあるから、例えば黒人のダンサーが世界のトップになったとしても、当たり前と感じるのが普通かもしれない。だからこそ、それを日本人がやることに意味がある。日本人である僕が、彼らと同じ舞台で同等にやれているのは、さっき言ったアーティスティックな部分や感情表現の部分が長けているからだし、それが僕のダンスの強みだと思います」
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時には感情表現ではなくフィジカルの部分を求められたり、ケントさんの強みが理解されない場面もあったかと思います。
「ありましたね。日本とアメリカでまったく同じダンスをやっているのに、アメリカではすごくウケて、一方、日本では歓声が上がるはずのところで上がらないとか。そのときのダンスは決して悪い出来ではなかったので、会場にいた日本の人たちにわからない部分があったのかなと思いました。でもだからと言って、それはお客さんが悪いわけでは全然なくて、良いものは必ず伝わるはずだし、伝わらなかったのは何かが足りていないということ。マイケルが言っていた『説明が必要なステージというのは本当のステージではない』という言葉じゃないけれど。ただ、アメリカと日本の違いは感じましたね」

 

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それは、つまり文化の違いということ?
「お笑いの世界に似ていると思うのですが、例えば志村けんさんのような100を10000に、10000を0という笑いだったら世界中の誰もが理解できる。でも、ダウンタウンの松本人志さんがやるような、100と91、91と103を比較するような繊細な笑いって、アメリカ人にはわからないと思うんです。でもそれが、ダンスエンタテイメントの世界では逆転する。マイケル・ジャクソンがムーンウォークをやれば盛り上がることなんてわかりきっている。彼は何もかも持っていた人だから、リズムの刻み方や指一本の指し方、振り向くだけの動作だって、そこに込められた感情表現がすごいのに、日本人にはそういう繊細な表現があまり見えていないと思う。それにアメリカの方が、良いものは良いとシンプルに評価される世界。だから簡単にキャリアが伸びるし、逆に悪かったら永遠にステップアップすることはないんです」
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著書にも詳しい経緯が記述されていましたが、マドンナとの契約で、(オーディションを勝ち抜いていた)マイケルのツアーへの参加を断念せざるを得なかった。そういう厳しさというのは、モチベーションになるんですか、それともストレスになるんですか?
「両方ですね。最初は、『紙一枚にサインしただけで、僕がずっと抱いてきた人生の夢を失うの?』というストレスを拭い切れなかった。でもしばらくして『また次にチャンスが巡ってきたとき、自分がちゃんと準備できているよう前を向くしかないんだ』と思ったら、前進することができた」

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マドンナと仕事をして、いわゆるショービジネスの厳しさみたいなものは感じましたか?
「それはもう多大に。こんな実話があって、マイケルの専属ダンサーだった人が本番数日前のリハーサルで帽子を床に落としてしまった。彼はそのひとつのミスでクビになり、次の日には代わりのダンサーがLAから飛んでくるような厳しい世界。マドンナだって、オーディションでは、どんなにキャリアのあるダンサーでも新人と同じラインで勝負させる。そのときのダンスが駄目なら落とされるし、彼女が良いと思えば採用されるというシンプルなもの。だからこそ厳しいんです」