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FPM

ニューアルバム『Scale』に現れた、FPMの新たな戦い。

13 3/1 UP

photo: Shoichi Kajino interview: Tetsuya Suzuki

約3年ぶりとなるニューアルバム「Scale」をリリースしたFPM=田中知之。
最新のダンスミュージックと普遍的なポップスの融合を試みてきたFPMが
自らの「アイデンティティ」を確かめながら現在のシーンに叩きつけた、
このニューアルバムの真意とは?

 

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本作に収録された楽曲はどれも、田中さんらしいサウンド、音のテクスチャーが全面に出ていて、コンセプチュアルな作品というより、いわばFPMサウンド集のアップデート版ですね。
「「特別なコンセプトがあるわけではない、というのはそうですね。前のアルバムでは、BPMを130にしなくてはならない、というルールを作ったりしていたのですが、今回はしていませんね。というのも“FPMはこうあるべき”と思わなくても、やれば、おのずと自分らしいものができるとわかっていたので。むしろ、そういった縛りから解き放たれたいと思いました。なにより、今の自分を高い純度で出せるようにしていったという感じですね」

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田中さんはデビューなさってから一貫してクラブミュージックシーンとポップスの融合というか、接点を突き詰めてきたと思います。以前は意図的にその着地点を設定していたと思いますけれど、今は自然とダンスビートでもポップスが成り立つ時代。つまり、田中さんがやってきたことが、ようやく当たり前に受け入れられる土壌ができたのかなと思います。
「ただ、その一方で、 “現在のシーンに無いものを作ろう”という考えは、デビュー時から変わらず今もあります。今、それこそダンスミュージックがボッブス化したEDMというのが、めちゃめちゃマスになっている。そうなると僕としては、いわゆる歌モノに興味がなくなってくるんですよね。とはいっても、10CCの「I’m not in love」をサンプリングに使えるというきっかけで、今回も歌モノを手がけました。でも、いわゆる四つ打ちにはしたくなくて、BPM130を半分に割ってゆるいバラードにしました。こういう感覚は以前もあったけれど、方向性が逆だったんですよ。僕がデビューした時は今から思えば、世の中的にCDセールスが絶好調の時期だった。そんなか、トリップホップ的なアブストラクトで重いサウンドとポップスが接近していたわけですが、当時の世の中の気分と流行の暗い音楽の落差に違和感があって、だったら、という思いで“FPM”っていう“おしゃれ”なスタイルをジョークとして作っていた部分もあるんです。もちろん、ジョークといってもクオリティは本気だし、ジョークです、ギャグです、っていう説明もあえてしないでいたけれど。その後、思いがけずラウンジブームに乗っかっていって、なんか、そういう方面に祭り上げられて居心地悪くなって、ラウンジっぽいのは止めたわけです。じゃあ、次は四つ打ちのハウスでメロディアスなものにしようと思って、2001年に「Beautiful」というアルバムをリリースしたわけですが、そういう音楽も現在の日本の音楽シーンで決して珍しいものではなくなっていますよね」

 

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その意味で、日本のメジャーな音楽シーンへ、あるトレンドを仕掛けてきた自負はありますか?
「というより、FPMを始めた当初から根底にあるのは『レコード屋に行ってもDJでかけたいと思える音楽が無いから、自分で作ってしまおう』ということなんです。とは言っても、それでもDJ活動する中でダンスミュージック系のアーティス卜の曲である程度、自分が使える曲を見つけられる時代が、10年くらいは続いていたのですが、ここ2、3年はあるにはあるけれど、絶対数が大幅に減っている。Beat Portでカテゴライズすれば、ニューディスコみたいな音楽だと大きなキャパでは弱っちいし、でもエレクトロハウスでは大味すぎる。いわゆるハウスはエレクトロハウスとインディダンスの燃えカスみたいで前時代的。テックハウス、テクノは自分のプレイにはストイックすぎる。こんなふうに今は、自分に属するところが無い、というシーンへの違和感を久しぶりに感じていますね。それは、最初にFPMを始めた時の衝動と同じくらいに強烈なジレンマです。今、自分が置かれているポジションとダンスミュージックシーンのマーケットにズレは感じるべきことなのかもしれませんね。でも、それが、ものづくりのパワーになるので肯定的に考えています」

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ただ、一般的には「最先端のダンスミュージックをポピュラリティのある音楽に翻訳するのがFPMだ」という認識も強い。
「確かに、ダンスミュージックの翻訳をしなければならないという強迫観念がずっとあったんですけど、そんなことはしなくていいと開き直れるようになったんです。大箱で、何が何でも盛り上げなければならないという場面もあるんですけど、そこでも開き直ったプレイがものすごく受けたり。とにかく自分がフロアでかけたい音楽は何か、やるべきことは何か、ということを今は主観的に考えるようにしたい」
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結果、このアルバムは「主観的=コンセプチュアルではない」分、アルバムを通しての各楽曲の役割とういうより、一曲一曲が完結し、完成していて、それゆえ逆に、FPM=田中さんの本質的な音楽性の追求としてのまとまりを感じました。
「だから、ある意味、評論しにくいアルバムなのかもしれませんね。ストイックにつきつめたら、もっと評論しやすいアルバムになりますよね……。やっぱり音楽シーンということで言えばアンダーグラウンドで一番自由であるはずのダンスミュージックのジャンルにオリジナリティがなくなってしまった。一番つまらない、ハンコで押したような音楽が量産されている。その中で、僕自身は自分が好きだったアーティスト、先人たちに見るようにオリジナリティにいかに固執できるか。オリジナリティを足に引っ掛けながら、いかにアップデートしていくか。自分もそうありたい」