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THINK PIECE

MASANOBU SUGATSUKE

急速に加速する「中身化する社会」の未来像

13 7/18 UP

photo: Kentaro Matsumoto interview & text: Tetsuya Suzuki, Madoka Hattori

例えば、ソーシャルメディアの普及によって、
あるいは、世界経済の不安定化によって人々の持つ“価値観”が大きく変わろうとしているのではないか。
そんな変わりつつある時代の先を国内外の事例を取り上げながえら見据えた話題の新書「中身化する社会」。
果たして、「中身化」とは何か。そして、「中身化」の後に現れるのはどんな社会なのか。
著者である編集者・菅付雅信に、「中身化する社会」でのサヴァイヴ術を問う──。

 

菅付雅信 (すがつけ まさのぶ)

編集者。著書に『東京の編集』『編集天国』『はじめての編集』。
朝日出版社アイデアインク・シリーズも手がけ、津田大介、グリーンズ、Chim↑Pom、園子温、君島佐和子を刊行。
『WWD JAPAN』『コマーシャルフォト』で連載。下北沢B&Bで「編集スパルタ塾」も開講中。
『中身化する社会』(星海社新書)発売中。
http://sugatsuke.com/

 

──
ご著書「中身化する社会」に書かれている内容の一部を例えばファッションに応用するなら“表層的なイメージ=デザインの持つ効果が薄れ、プロダクトとしての本質が求められる”ということになるかと思います。実はこれは、東京のメンズブランド──典型的なのはvisvimですが、10年以上前から進めてきたコンセプトではあるのです。そういった意味でも、この「中身化する社会」は我々にとってもリアリティのある内容でした。
「反資本主義を唱えようが、オーガニックな暮らしになろうが、消費は続いて行くんですよね。ただ、消費に対するリテラシーも増々上がっていく。ネット通販が大きくなってきたことで、ユーザーは価格や内容、レビューをみながら比較しています。商品の批評を知った上で購入することが当たり前になったわけです。つまり消費がネットによって、より可視化された行動になっているんですよね。印象ではなく、中身の評価で買う時代に移行しているわけです」
──
ご著書の主張のひとつが「中身化することで広告イメージでモノが売れる時代は終わった」ということですね。
「少なくとも、広告があまり効かなくなってきた。では、企業が商品を売る為にはどうしたらいいか。単に広告を打つのではなく、ユーザーとのコミュニケーションを全体的、包括的に考えなければいけなくなっていると思います。さらに知識のない子供をだますような広告から、相手を知識のある大人として扱う大人同士の友情のようなコミュニケーションに移行しないといけない。そのためには2つのやり方があります。ひとつは、ホール・コミュニケーション。TVや駅張りなどのマス媒体広告とともにソーシャルメディアなども活用し、ありとあらゆる方向から、つまり全体的=wholeにコミュニケーションを図る。とはいえ受け手は、銃弾爆撃のように広告を連打されると嫌気がさしてしまうんですよね。そこでもう一方のやり方は、消費者個人個人に合わせたピンポイントな広告をする、スペシフィック・コミュニケーション。絨毯爆撃ではなく巡航ミサイルですね。そのふたつの使い分けを上手くやることが有効でしょう」
──
つまり、いまや「マス」と括られる消費者像はすでに存在せず、年代や性別、職業などの社会的な属性でのマーケティングも効かない。むしろ、ライフスタイルの傾向というか、簡単にいえば趣味趣向でグループ分けされた“個人”に対し“スペシフィック”にフォーカスしていくと。
「そう、『この送り手は、僕のことをわかっているな』と思わせることがますます大切です。ホール・コミュニケーションでは、個々のお客さんのことは理解せずに全チャンネルをつかってしまうことが多い。コミュニケーションする上では、自分のことを理解してくれているかということを感じさせる必要があるんです」
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では、メディアの存在意義はどう考えますか?
「独自のお客さんを掴んでいるかどうかでしょうか。メディア=コミュニティ、そうでなければ生き残れない。ハニカムは特にコアユーザーを掴んでいる印象がありますね。お客さんに何を出せばいいか、押しつけではなく、そしてこれを出すとひかれてしまうかな、という塩梅も見極めなければいけない。お客さん自身の目も肥えていますからね。とはいえ、二極化しているとも言えます。情報のリテラシーが高くスマート化している人はよりスマートに、そうでない人はますます自分の無知無関心を擁護するようなメディアやコンテンツばかりを好む傾向がありますね」

 

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そのスマート化している人々というのは、具体的にどのような人なのでしょう?
「クリエイティブな職についている人が多いですが、クリエイターに限ったことではありません。たとえば、マスコミや銀行などに勤めるような大学を出た人たちの中に、オーガニック農業やメーカーズ・ムーブメントのような少品種製造業の世界に参入する人たちも増えている。そういう人たちもスマート化している人々と言えます。例えば、少し前であればマスコミやデザイン業界に就職していたようなタイプの人が、今は飲食業界で活躍していますよね。そういう傾向も非常に面白いと思います」
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食については、ここ10年くらいで大きく変化した印象があります。“オーガニック”という価値観の登場により、食にコンセプトが導入された。それによって「美味しい」の基準が変わったと思うのです。
「そうですね。例えば、西荻窪にあるorganの紺野真さんやアヒルストアの斎藤輝彦さん、FORT GREENEの浅本充などは、非常にクリエイティブな意識を持って食に関わっていますよね。彼らは、従来であればクリエイターが使うようなコミュニケーション方法を食の場で実践していますね」

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ご著書にあるように「人間関係、それ自体が『資本』となる」今の時代では、個人の生き方もプレゼンテーション的になりつつあると予想されます。要はソーシャルネットワークでのパフォーマンスが重要というか、“会社員”というような一般的な肩書きや“30歳男性”といった属性よりも、自分の名前=個人としてのアイデンティをよりパブリックかつソーシャルなものとして前に出す、というような。つまり、職業=編集者ではなく、職業=菅付雅信というようなことですよね。
「これからの生き方として、署名性=シグネチャーがある人として生きるか、匿名の人として生きるかのどちらかをより明確に選ぶことになっていくと思います。個人名を出す事はリスクを伴います。できるなら名前を出したくないというのは理解出来ます。とはいえ、名前を出さないことには、個人の意見を責任を持って伝えられない。他人からリスペストされるには、名前を出し自分の意見を表明していくしかないんです。リスペクトはリスクを必要とするんです。もちろん発言に対しては矢面に立つ覚悟が必要。しかし、ソーシャルメディアによってその人の言動がかなり可視化された社会の到来において、ある種の覚悟をもって、自分を作品化していく方がベターな生き方だと思います」
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しかし、そういった“生き方”に拒否反応を示す人も多いでしょう。
「この本の中についても賛否があって、両極端なんですよね。ソーシャルメディアが発達してきたことで、普通っぽい生き方をしていると、今まで以上に社会に埋もれてしまう。名前を出して、署名的に生きている人が増えて、そちらのほうがより可視化され目につきやすくなる一方、匿名であることに安住している人にとっては、心地よくない社会になりつつありますね。その危険性もある」