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THINK PIECE

『郊遊〈ピクニック〉』

廃墟に描かれた壁画との出会いが生んだ奇跡の映画
蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督インタビュー

14 8/25 UP

photo: Takehiro Goto
interview & text: Eiji Kobayashi

1990年代初頭に登場するやいなや、現代社会に生きる人間の孤独を独特のスタイルで描いて、世界にその名を轟かせた
台湾の映画監督・蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)。近年ではアートや演劇のフィールドでも活躍の場を広げる彼が
昨年のヴェネチア国際映画祭で「劇場映画として最後の作品」と表明した、『郊遊〈ピクニック〉』がついに公開される。
極限まで削ぎ落とされた台詞と、それ以上に雄弁に語る男女の顔、圧倒的な強度を持った画面の長回しのショットの
連なり……。デビュー作から主演を務めてきた李康生(リー・カンション)と彼の作品を支えてきた3人の女優、そして
常連スタッフが結集して作り上げた蔡明亮の集大成ともいえる驚異的な作品だ。その誕生には、
重要な舞台の一つとなっている廃墟と、そこに描かれたある壁画との幸運な出会いがあった。

 

──
あなたの作品では、都市に生きる人間が抱える孤独というものが一貫して描かれてきましたが、近作ではその舞台として廃墟が多く登場します。引退作と公言されている『郊遊〈ピクニック〉』では、廃墟そのものが主役とも言えますね。
「たしかに、私の作品の中における廃墟というものは、人々の心理的な孤独を直接的に描写するものと理解してもらっていいと思います。特に『郊遊〈ピクニック〉』では、主人公の男と女、彼らがそれぞれ持っている、普段は目にしたくないものを心象的に表現しているわけですが、誰しも心の中に自分の廃墟というものを持っているのではないでしょうか。映画の中で廃墟にいる野良犬(ちなみにこの作品の英語題は“Stray Dogs”という)に女性が餌を与えるシーンがありますが、なぜ彼女はあそこに来て、犬に名前をつけて話しかけながら餌をやるのかというと、その廃墟にある壁画を見に戻ってくるためです。彼女にとっては、そこへ行くことが自分の家に帰ること、つまり心の在り処に戻ることを意味しているわけです」

──
あの壁画は映画のために描かれたのではなく、廃墟に描かれていたものを偶然見つけたそうですね。
「映画の中で非常に重要な要素となっているのがこの壁画です。私はこの映画を撮るときに偶然このロケーションを見つけたのですが、あの壁画を誰が描いたのか知りませんでした。撮影を終えてポストプロダクションの段階になって、以前私が授業を持ったことのある芸術学院の所長が見学に来たとき、壁画が映ったシーンを見て、『あ、これはあの学生の作品ですね』と教えてくれたんです。これを描いたのは高俊宏(ガオ・ジュンホン)といって、廃墟を見つけては絵を描いているという特殊な芸術家で、彼はスプレーやペンキで描くのではなく、筆を使って丹念に絵を描いていきます。映画で使ったこの壁画は、100年以上前の台湾南部の先住民の村の水辺の風景を描いた作品ですが、この風景は1871年にイギリス人が台湾に来て撮った写真を元にしているということでした。この廃墟の絵がなぜ私を惹きつけたかというと、

 

おそらく高俊宏と私が台湾の風景に対して同じ想いを抱いていたからだと思うんですね。つまり、今、台湾だけでなくアジア全般で経済が発展していますが、逆にこのような美しい風景というのは消えてしまい、二度と戻ってきません。ただこの廃墟の絵の中に見るだけになってしまったということが、この絵が私を惹きつけた大きな理由だと思います」
──
廃墟の足元の瓦礫が、描かれた風景の中の河原とつながっているようにも見えます。
「そうです、壁画と地面とがまるで鏡に写っているようになっていますよね。それから、元の写真には水辺に先住民の子どもが2人写っていたそうなんですが、壁画には風景しか描かれていません。ですが、この映画で私は2人の子どもを登場させています。こんな偶然あるんだなって、すごく運命的な出会いだったと思います」