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THINK PIECE

ディーン、君がいた瞬間(とき)

前作から8年。ジェームズ・ディーンの生涯を描いた最新作。

15 12/14 UP

photo: Kentaro Matsumoto
text: Naoko Aono

ロバート・デニーロ、デヴィッド・ボウイ、ウィリアム・S・バロウズらそうそうたる人物のポートレイトを撮影、
またU2、デペッシュ・モードなどのメインカメラマンを務めていることでも知られる写真家、アントン・コービン。
その彼の長編映画監督としてのデビュー作「コントロール」から8年、最新作の「ディーン、君がいた瞬間(とき)」
が公開される。ジェームズ・ディーンと、彼の伝説となった一枚を撮った写真家、デニス・ストックとの
交流を描いたセミ・ドキュメンタリーだ。観客の興味はやはり若くして死んだ永遠のヒーロー、
ジェームズ・ディーンに向かいがちだが、コービン監督の関心は自分と同じ職業である
デニス・ストックにも向けられていたはずだ。プロモーションのため来日したアントン・コービンに聞いた。

 

──
「コントロール」ではモノクロームの画面が印象的でしたし、ポートレイトでもモノクロームのものを多く発表されています。今回の「ディーン、君がいた瞬間(とき)」をカラーで撮られたのはなぜですか。
「デニスの写真はほとんどがモノクロだ。もしこの映画をモノクロで撮ってしまうと、彼の偉大さがよくわからなくなってしまう。モノクロの景色をモノクロの写真にするのなら、誰でもできそうに思えるだろう。そうではなくて、彼が真のアーティストであることを強調したかった。僕自身も写真家だから、写真を撮ることの困難さや被写体との関係については想像がつくしね」
──
映画では独特の抑えた色調が印象的です。色はどのようにして決めたのですか。
「この映画の舞台である1950年代の映画を参考にしたけれど、主要なアイデアは撮影を担当したシャルロッテ・ブルース・クリステンセンによるものだ。色彩に関しては彼女の役割が大きい。60年前のアメリカを再現するのには苦労した。ほとんどのシーンはディーンの故郷として登場するインディアナでも、映画の中で重要な場面になるニューヨークでもなくて、カナダで撮影したんだ。アメリカには当時を思わせる風景がほとんど残っていなかったから。タイムズスクエアのシーンはスタジオに一部セットを作って、コンピュータグラフィックスで補った。ただ僕が子供の頃はオランダのテレビではアメリカ映画ばかり放映していたから、それは大きなヒントになった。弟はカウボーイごっこで遊んでたしね。この映画でも写真でも、何もかもをクリアにしないのは僕が育ったヨーロッパで培われた感性かもしれない。アメリカではすべてを明快にすることが

求められる。映画でも写真でも、僕の作品ではシャッターを切るその前後に何があったか、見る人が想像する余地を残すようにしている。その意味で僕の作るものはオープンだと思う」
──
デニス・ストックのことは前から知っていましたか。
「プロデューサーからこの話がくるまでは知らなかった。あとになって、彼の写真は見たことがあるのに気づいたけど、名前と結びついてなかったんだ。だからこの映画を撮ることは僕にとってちょっとした発見だった。映画のために資料を見ていて、彼が素晴らしいドキュメンタリー・フォトグラファーだったことがわかった。同時代を独自の感性で切りとっている。もちろん彼がジェームズ・ディーンを撮っていた60年前と今とではいろいろなものが違う。車も、街並も、ファッションも変わった。デニスの写真はその当時についてのいろいろな情報を提供してくれるんだ」

 

──
デニスの写真をどう思いますか。
「彼はとてもいい眼を持っていたと思う。写真集を見るとさまざまなイメージが響き合っているのがわかる。とくにユーモアのセンスがいい。面白い写真を撮るのって意外に難しいものなんだ。デニスは若い頃に撮ったジェームズ・ディーンの写真で名を知られるようになった。そのことは彼にとって重荷になったと思う。というのもディーンは早世し、デニスの力の及ばないところに行ってしまったからだ。デニスが撮ったディーンの写真は、デニスの他のどの写真よりも大きな存在になってしまった。こうなると写真家にはもう何もできなくなってしまう。どんな写真でも被写体が若くして亡くなると、違う意味を持つようになるからだ。人々が特別に感情移入するようになるからね。僕も似たような体験をしたので、デニスの心情が理解できる。『コントロール』で取り上げたジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスはその一例だ。

僕がジョイ・ディヴィジョンの写真を撮った当時は全く評価されなかった。でもイアン・カーティスが死ぬと急に注目を集めるようになった。見る人が自分のさまざまな思いを写真に投影するようになるからだ。こうなるともう僕には何もできない。その意味でデニスと同じような経験をしたんだ」
──
映画には若いデニスが名声を得ようと格闘する姿が描かれます。あなたにも同様の経験がありますか。
「僕に限らず駆け出しの写真家やアーティストは何とかして生き残ろうともがくものだ。そういった人たちにはデニスの気持ちはよくわかると思う。僕も写真家になって最初の一年はオランダにいたんだけれど、その頃はネガティブなコメントばかりだった。イギリスに移ってようやく、僕の作品が受け入れられるようになった。オランダでの1年は本当に辛いものだったね」