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THINK PIECE

KIYOSHI KUROSAWA

『岸辺の旅』
生きているものと死んでいるものの間を撮るということ

15 9/29 UP

photo: Chikashi Suzuki
interview: Tetsuya Suzuki

黒沢清の最新作である、『岸辺の旅』がついに公開された。今年のカンヌ国際映画祭において、
日本人初の監督賞を受賞した本作では、3年前に姿を消した夫が、ふと妻の日常に舞い戻り、
空白の3年間を辿る旅にでようと告げたことで始まるロードムービー。
各地を回りながら、夫の生前にこの夫婦が育んだ愛情、わだかまり、それぞれの人物像が紐解かれていく。
90年代のジャパニーズ ホラーブームの火付け役としても知られる黒沢清が“怖くない幽霊”で描きたかったものとは。

 

──
黒沢さんは、幽霊という、いわば「この世」と「あの世」の間にあるものそれこそ、ホラー作品を含めて幽霊を描くことを重要なテーマになさっているイメージがあります。そして、本作では浅野忠信さん演じる夫が、まさに幽霊として主人公の妻とともに旅をします。黒沢さんにとって「幽霊」とは何を象徴するものなのでしょう。
「おっしゃる通り、もともとホラー映画は好きだし、これまで幽霊の出る作品を数多く撮ってきました。そして、これだけホラー映画を撮り続けると“死”が実は、ものすごくありふれたものであることに気づきました。そのものは目に見えない、さっぱりわけのわからないものなのですが、それは、われわれのすぐ隣にあり、“死”は生きていることと比べ物にならないくらい膨大な時間存在するわけです。
われわれにとって、そっちの方が本質と思えるほど、死というものは広がっているわけですね。ホラー作品ですと、“それ”を髪の長い女優や黒づくめの男優に演じてもらうわけですが、時には喋らせたり動かしたり、様々なバージョンを試みるうちに、死とはこういうものかも知れないという仮説のようなものを映画で表現することが可能であると、やっと分ってきたんです。今回は、これまで蓄積してきた生と死の関係を全くホラーの要素がない原作に出会ったことによって、“怖さ”抜きで作品に取り入れることができたと思っています」
──
「見えない死を見えるものにする」というのが映画としてのテーマのひとつなのかなとも思うのですが、その点はどのように意識なさいましたか。

 

「目に見えない“死”を表現するとなると、普通はどうすればいいんだろうと途方に暮れるわけです。そうした試行錯誤は、例えば、ハリウッドでは、特撮などをふんだんに使って、あの手この手で(現実の世界とは違う)“死後の世界”を描写していますよね。これも一つの表現方法なわけです。しかし日本では『あ、じゃあ俳優呼んで(幽霊を)演じてもらおう』と、なった。なぜなら、これが一番安上がりなので(笑)近年の日本のホラー映画が発明したのは、動けて触れて喋ることのできる普通の人間が、“幽霊”としてひょいと出て来て、それでどうやって観客を怖がらせることができるか、というノウハウでした。つまり、生きた人間を使って“死”を十分に描くことができるということを実証したのが、ジャパニーズホラーの世界的な功績のひとつでもあるでしょう。このやり方は、僕が見るところ、ここ十年くらいで世界の映画にも定着しつつあるという印象です。海外作品、フランス映画なんかにもそういった設定を目にする機会が増えてきました。すこし前であれば、フランス人は、せめて特殊な衣装を着せたり、半透明にするとかしない限り、映画に幽霊を出すことに抵抗があったんじゃないかなと思います」
──
その意味で黒沢さんは、「幽霊の演技指導」という画期的な仕事をなさってきたのだろうと思います(笑)。でも、本作の幽霊は、主人公の愛しい夫なわけで、そうなると、“怖さ”とは違う幽霊表現、演出が必要になると思うのですが。

 

「今回は、そういった“怖くする必要がない”ということで、解放されたように感じました。薄気味悪い照明もいらなければ、不安気な音もいらない。それはある意味、表現の可能性を広げていると感じました。ホラー作品ですと、幽霊がいかに出現するかが最大のテーマであったわけで、どのタイミングでどの位置にどのように出現させるかということに散々知恵を絞ってきました。観客も『いつ出るのか、いま出るんじゃないか、やっと出た』というような緊張感を楽しんでくれていたわけです。一方で本作に関しては、
“いつ消えるのか”がテーマだった。いつか消えていなくなることが、小さな緊張感となって、ささやかなサスペンスのように全体を貫くような作りにしました」
──
ホラー作品の幽霊は出て来て欲しくないけれど、本作では消えて欲しくない幽霊なわけですね。作中は、生きている人間と死んでいる人間の関わりあい、とりわけ男女の間にある死後の愛情の交換も丁寧に描かれていると感じました。現代的あるいは普遍的な夫婦の姿というものも、本作のテーマなのだと感じます。

 

「はい。今までもホラーやサスペンスのようなジャンルの中にあって、奇妙な事件が起こり、それに直面する夫婦を描くということは多々あったのですが、純粋に夫婦関係について描いたのは今回が初めてですね。何本か撮る中で気づきましたが、自分は恋人同士よりも夫婦を撮ることの方が、どうやら得意みたいです。知らないもの同士が出会っていかにして愛を完成させるか、という恋人同士の関係は、観ている分には面白いものもあるのですが、いざ自分で作るとなると、どうしても興味はその先にいって、苦労して築き上げた二人の関係がどのように変化していくのか、という方向になるんです。二人の中で非常に深く出来上がってしまった愛の関係というのがあるゆえに、他人ならば何でもなかったことがものすごく大きなハードルとなって立ちはだかったりする。それでも、二人はその関係を持続させられるかが問われるわけです。もちろん、幸せな結果ばかりではないでしょう。そういったことに直面する、そんなに若くない40代くらいの夫婦というのがとても興味が惹かれる題材なんです」
──
毎回、黒沢さんのキャスティングのセンスの良さには、本当に驚かされるのですが、今作でも浅野忠信さんの“幽霊”は本当に素晴らしいですね。
「主役の二人(妻役の深津絵里と夫役の浅野忠信)については、完璧な配役ができたと思っています。演技が上手いし、応用はきくし、でも、街を歩いていると全くの普通の人にも見える。一方で、神話の中にいるというと大げさですが、選ばれた特殊な人間のような雰囲気も漂わせているお二人です。40代の夫婦を描くという意味では最高の俳優に出てもらえたと思いますね」