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THINK PIECE

Paris photo 2015

同時多発テロの直撃を受けたパリフォト2015
テロルの時代に翻弄されるアートフェアの行先

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Photo & Text:Takashi Okimoto

毎年秋にパリ市内で開催される世界最大の写真見本市である「パリフォト」は、11月13日金曜日の夜に発生した
パリ同時多発テロの影響を受け、開催日を2日残して中止となった。今回で19回目となるこの国際的なアートフェアは、
忌まわしいテロの記憶とともに記憶されるだろう。いまなお非常事態宣言下(1月13日現在)にあるパリで体験した
テロ当日を含めた5日間の出来事を報告しつつ、今後のパリフォトを含めたアートフェアの行く末について考察する。

 

深夜のテロ発生と外出禁止令

パリの歴史に永久に記憶されるであろう、2015年11月13日金曜日午後9時。パリ郊外のサン=ドニにあるスタジアムで起こった自爆テロに続いて、パリ10区と11区の飲食店や劇場で乱射や自爆テロが次々発生し、午前0時過ぎまでの間に130名の死者を出す未曾有の惨事に拡大した。筆者は、テロの現場とは少し離れた9区にあるホテルにいた。取材に疲れてベッドで眠っていて、テロの発生を知ったのは午前2時過ぎのことだった。パリ在住の知人から電話で入り、11区付近でテロが起きて多くの死者が出て犯人は未だ逃亡中という状況を知った。驚いたのは市内全域に外出禁止令が出されたことだった。発令は戒厳令に次ぐレベルだったらしく、尋常ではない状況だと思った。寝ている間の事件経過はSNSや日本のニュースサイトで収集できた。安否確認にはSNSを活用した。とくにFacebookの自己安否確認のサービスは、自分と同時に市内にいる知人の安否を知るのに役立った。

一夜明けた土曜日(14日)の朝、気がかりなのは外出禁止令とパリフォトの行方だったが、滞在中の何人かの知人とLINEで連絡を取り合い、地下鉄その他の交通機関は運行中で市内のレストランやスーパーも通常営業しているが、パリフォトは週末の開催が中止になったことを知った。大統領府がテロを受けてパリフォト会場のグラン・パレを含む国立施設の閉鎖を決定したため、パリフォトは会期を2日残して中止になったという。同じく、国立施設である国立美術大学を会場に使ったアートブックイベント「offPrint」(※1)も中止が決まった。

パリ・フォト会場風景

写真関連のイベントで週末の開催を決めたのは、国家が管理する施設を使わない船上の写真集イベント「Polycopies」と、2010年までパリフォトの会場だったルーブル美術館地下の商業施設を使った写真見本市「fotofever」だった。テロに屈することなく開催したのは一見勇気ある決断のように思えるが、そうでもない。パリ市内の文化施設を掃討するのが目的であれば別だが、実際問題としてテロリストが身命を賭してまでこうした小規模なイベントを狙うことはおそらくないだろうし、万が一襲撃に合えばひとたまりもない。ただ、何があろうと生活と自己目的を優先するパリ市民の意志を象徴しているとは言えるかもしれない。あれだけの惨劇があった翌日に、外出禁止令を無視して店を開いて市内を往来する人々が多かった事実がそれを証明していた。

 

パリフォト中止の波紋

土曜日の正午すぎ、グラン・パレからほど近いPolycopiesの会場に行ってみた。市内は、昨日と同じ光景が展開されていた。バスやタクシーや地下鉄は通常運転、食料品店やスーパー、カフェ、レストランもいつもと同じように店を開けている。百数十名の犠牲者が出た惨劇からまだ半日しか経っていないにもかかわらず、市内中心部には多くの観光客がいた。目の前に広がるのはあまりに日常の光景で、非日常が入り込む隙など無いように思えた。がしかし、セーヌ川の向こうにグラン・パレを見ながら国会議事堂の横を通ろうとしたとき、重武装したフランス陸軍の兵士が議事堂を取り巻く姿が目に入った。それは非日常があらわになった瞬間だった。武装した警官は市内の至る場所で見かけたが、兵士と警官では醸す空気がまるで違う。いつでも撃てるように自動小銃の引き金に指をかけているのは同じだが、プロの格闘家と体育大学の学生の違いと言えばよいのか、仲間と白い歯を見せて談笑している警官と何のためらいも無く引き金を引くであろう兵士とでは殺気が違う。よく訓練された彼らは、テロリストに対してもその圧倒的な火力で蹂躙するだろう。武力に対してはより優位な武力でしか、現場では対応できない。ここは”拡張された現実としての戦場”であることを感じた一瞬だった。

パリフォトの中止は残念だった。今年で通算19回目の開催で、昨年は過去最大約6万人の来場者を集め着実に規模を拡大していたところにテロが起きた。パリフォトが狙われたわけではないが、自由と芸術の都が標的にされたことやアートイベントもテロの標的になりうる現実が示されたことは、関係者に衝撃を与えた。

2015年11月13日金曜日深夜、パリ市内マレ地区など数カ所でイスラム過激派による同時多発テロ事件が発生。翌日、仏大統領府は急遽パリフォトの会場であるグラン・パレを含む国立施設の閉鎖を決定した

そして、会期が正味3日間にとどまったことによる出展者の損害も現実としてある。イベント全体の動員数や売上実績が例年を下回るのはもちろんだが、出展者が週末に得られるはずだったセールスの機会損失は何よりも大きいはずだ。ギャラリーは土日に訪問するはずだった顧客がパリへの来訪をキャンセルしたことがそのまま損失につながり、出版ブースの出展者はパリフォトの売上げの半分を占める土日の一般来場者への販売機会がまるごと消えた。なお、主催者から会期短縮に伴う出展料の返金措置などは一切無かった。

 

テロ時間から一夜明けた11月14日昼、グラン・パレを含む至近のフランス国会議事堂を警備する完全武装したフランス陸軍の兵士。パリ市民には週末の外出を極力控えるよう、大統領府から通達が出された

同時多発テロが発生した当日、パリフォトは一般公開日2日目を迎え、世界各国から写真関係者が集まっていた。マグナムのブースでくつろぐ、写真家エリオット・アーウイット。パリ市内で個展を開催中だった

 

テロ事件翌日の銃撃事件現場にほど近い11地区の路上。ギャラリーが点在する同地区はユダヤ系住民の居住地域でもある。表通りは自動小銃を持った警官に警備されているが、1本裏通りに入ると寒々しいくらい無防備だ

テロから2日経った日曜日、会期中であるはずのパリフォト会場・グランパレからは続々撤収のトラックが集結し、もの悲しい空気の中で売れ残った作品や写真集が運び出されていた

 

共和国の象徴、レピュブリック広場では、テロの犠牲者を悼み多くの献花や献灯が見られた。自由と芸術の地が暴力にさらされたことは、写真やアートの関係者にも影を落とした

2015年1月7日に起こった「シャルリ・エブド」編集部襲撃テロ事件の追悼場所でもあったレピュブリック広場。1年も経たずに繰り返された悲劇を打開する方策は見えない