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THINK PIECE

GENER8ION 光臨!

「音楽もヴィジュアルも、GENER8IONの世界を形成する一部なんだ」

16 4/11 UP

photo & text: Shoichi Kajino

DJ、ミュージシャンの枠ではおさまりきらなくなった活動を広げるべく、新たに「GENER8ION(ジェネレーション)」
の名のもと活動を始めたSURKIN。Bromanceからのニュー・EPに次いで届いたのはなんと分厚いヴィジュアル・マガジン
「UNITE or PERISH」!アジア・ツアーの最中、東京に立ち寄ったSURKINに近況を聞いた。

 

──
GENER8IONという名のもとで活動を始めることになったのはどうしてだったのですか?
SURKIN(以下S)
「これまでの自分より大きなプロジェクトが必要になった気がしてきたんだ。音楽だけではなく、アート・ディレクション、グラフィックだったり雑誌だったり、GENER8IONはそのより大きな傘としてのプロジェクトなんだ。SURKINという名前で僕がやってきたクラブ・ミュージックも、もちろんそのひとつの重要な要素ではあるけれど、それだけではない。GENER8TIONは『僕自身』よりも少しフォーカスを甘くしたいと思ったんだ」
──
とはいえ、コントロールするのは、君自身ですよね?
S
「うん。音楽なら例えばM.I.A.をフィーチャーしたトラックを作ったり、ベースのトラックをCanblasterといっしょに作ったり、よりコラボレーションにも寛容なプロジェクトにしたいと思っている」
──
さらには自分を表現するフィールドとして、もはや音楽だけでは物足りないという印象を受けました。
S
「もちろん。僕はバックグラウンドにヴィジュアル・アートがある。学校ではコンテンポラリー・アートを学んできたし、まずヴィジュアルがあって、そこに音楽が生まれてきたというの自然な流れだった。しばらくSURKINとしてあまりに音楽にフォーカスする時間が長くなってしまったから、もう少し他の表現をしたくなってきていたんだと思う。僕にとってはいくつかのプロジェクトがあった方が、効率的でもあるのを実感している。クラブ・ミュージックを作りながら、並行して、雑誌の編集をやったり、ファッションショーのための音楽を作ったりしてると、ひとつで行き詰まっても別の作業に移ることでリフレッシュ出来て、結果、それぞれの作業もはかどるんだ」

──
たしかにGENER8IONになってからの方がリリースのペースが早まりましたね。
S
「自分には完璧主義なところもあって、のめりこみすぎて、いつまでも完成させられなくて結局、世に出せなかったものもあるからね」
──
タイミングとしてMarbleを終了して、Bromanceと合流する時期でした。
S
「たしかにMarbleは音だけではなく、ヴィジュアルの面でもプロデュースに関わっていたから、その活動をストップするのはさみしかった。それもあってGENER8IONのプロジェクトではヴィジュアル面での幅を持たせたかったんだ」
──
「UNITE or PERISH」という雑誌はそのヴィジュアル・サイドでのコアという意味があるのでしょうか?
S
「ヴィジュアル・サイド、ミュージカル・サイドという風に分けたいわけではないんだ。これまで音を作っているときも、音だけでなく常にヴィジュアルを意識していたし、もちろんこの雑誌も含めて、GENER8IONの世界を形成する一部なんだ」
──
このジンに参加しているクリエイターを紹介してください。
S
「第1号は自分の近くにいるクリエイター、友人たちと作った。M.I.A.は僕のファースト・シングルで歌ってくれた。パーテル・オリヴァはKENZOなどのヴィジュアルも手がけるアートディレクター、僕らの最初のレーベルのinstitubesのアート・ディレクションも彼がやっていたんだ。ダヴィッド・ルドニックはGNER8IONのタイポも作ってもらったデザイナー。ジュリアン・ドセナはパコ・ラバンヌのクリエイティブ・ディレクターでファッション・デザイナー。ジャクソンは言うまでもなく、僕の長年の友達でもあるミュージシャンだ。

 

ガスピレーター(JUSTICEのガスパール)ももちろん。映画監督、映像ディレクターのロマン・ガブラスはM.I.A.とのヴィデオクリップも撮ってくれた友人。ギヨーム・ベルグとOFF-WHITEのヴァージル・アブローはDJやファッションで共鳴する仲間だよ。音楽、映像、アート・ディレクション、デザイン、タイポグラフィー、ファッションといった異なるフィールドで活動していながらも同じく先見的な目をもった仲間たちを一同に集めてものを作りたいと思ったんだ」
──
もうひとつ驚いたのは、ページをめくった最初の特集が日本の「暴走族」だったことです。
S
「僕らはフランスで'80年代~'90年代の日本のカルチャーにとても影響を受けて育ったんだよ。子どもの頃に見てたのは日本のアニメだし、遊んでいたのは日本のゲームだ。グラフィック・デザインでも亀倉雄策や五十嵐威暢といったアートディレクターは僕のヒーローのような存在だったよ」
──
もちろん君が日本のアニメやデザインなどが好きで、影響を受けてきたという話は以前から知っていたのですが、まさか「暴走族」までとは…(笑)
S
「日本の美学はいろいろな側面を持っていて、もちろん、フランスやヨーロッパでよく知られているのはアニメやゲームだったり、スクエアでまっすぐに美しいデザインの側面だと思う。だけど、僕が興味を持ったのは、それと同時に暴走族のようなエクストリームな美学もその裏に共存していたということだったんだ。その「不良」な美学は例えば、僕が日本に興味をもったきっかけとなった

漫画の『アキラ』にもあったと思うんだ。クリーンでストレートなものと、ラフでエクストリームな美学の共存は東京の街を歩いていても魅力に感じる点だよ。例えば、新宿の高層ビル街から何ブロックか歩くとゴールデン街のような場所があるというようなカオスがね」
──
日本の粗野で暴力的なものにまで興味が向かったのは、音楽的にもスクエアさよりもラフさのある方向とリンクしているのでしょうか?
S
「もちろん日本の美学だけではない様々な国の美学が混ざって影響していると思う。それは暴力的なパーカッションもあれば、映画的な美しいメロディもあれば、荒々しいテクノの要素もあって、それぞれの強い反発があるところに自分の音楽が生まれていると思う。ひとつだけの方向に向かう美学は面白みがないと思うんだ」
──
最近の仕事はファッションとのつながりが強くなっていますね。パコ・ラバンヌとは特に近いようですが。
S
「さっきも挙げた友人のジュリアン・ドセナがクリエイティブ・ディレクターを務めているからなんだ。ショーのための音楽を作ったし、新しいブティックのためのサウンド・デザインも担当したよ。その日の気温や天気によって変化するもので、鳥の鳴き声や環境音などもいれた、ミュージックというより即時的に生まれるサウンドのデザインをしたんだ。クラブ・ミュージックとは全くちがう音のプロジェクトはとてもいい刺激になったよ」