honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」

Mail News

THINK PIECE

屋敷豪太×大沢伸一

「今がこういう状況だからこそ、バンドをやりたい」

16 8/29 UP

photo: Shoichi Kajino
interview: Tetsuya Suzuki

DUBFORCEとAMPS。屋敷豪太と大沢伸一という、ともに長く輝かしいキャリアを誇る二人の音楽家が、
それぞれ新たなバンドをスタートした。これまで数々のバンドを経験し、個人としても
多岐に渡る音楽活動を続けて来た彼らが、今なぜバンドを結成したのか。
2016年9月6日(水)に代官山UNITで開催される「CUE vol.2」での共演を前に話を訊いた。

 

──
屋敷さんも大沢さんも、長いキャリアを経て今改めて新たにバンドをスタートされ、9月6日(火)には代官山UNITにて競演されるわけですが、これまでにはどういった接点があったのですか?
大沢(以下:O)
「豪太さんとはこれまでにも小林武史さんのBradberry Orchestraでご一緒させていただいたり、日の目を見ていないバンドもいくつかやったりと、ずっと接点はあったんです。その後、それぞれ別々の活動を続ける中で、僕には常にバンドをやりたいという気持ちがあったんです。豪太さんもセッションをメインとした活動はされてきましたが、いわゆるご自身主導のバンドとしてはDUBFORCEが久々ですよね」
──
豪太さんはミュージシャンとして他のバンドに呼ばれてパフォーマンスをすることも多いと思うのですが、今回のDUBFORCEのようにご自身でコンセプトを作ったバンドを始めることには何か大きなモチベーションがあったのではないでしょうか?
屋敷(以下:Y)
「僕は昔MUTE BEATというバンドをやっていて、当時使用していた”ダブ”という手法を改めて面白いと思うようになったんです。MUTE BEATではジャマイカやブリティッシュ・レゲエのようなルーツ的なものに、日本独自の哀愁がかったメロディをミックスしていたのですが、それが30年ぐらい経過した今、すごく新鮮に感じるんですよ。ダブはブラックホールのようになんでも受け入れて飲み込んでしまえるような許容力があるもので、ライブも毎回違ったものになるじゃないですか。レゲエやニューウェーヴ、あるいは元ちとせさんのヒット曲など、あらゆる楽曲をDUBFORCEが料理すると原曲とは全く異なる曲になって、しかもそれを毎回違った聴こえ方でライブすることができるというのが、すごく面白いんです。そうして何度かライブを続けているうちに大沢くんも新しいバンドを始めていて、お互いに対バンやろうよとなったわけです」

──
豪太さんのルーツであるダブに対する強い想いがDUBFORCE結成のきっかけになっていたのですね。一方、大沢さんのAMPSはいかがでしょうか?
O
「奇しくもなのですが、僕も自分のルーツである80年代のニューウェーヴやパンクをどうにか自分なりに表現したいと思ったからなんです。というのも、実は僕はこれまでのキャリアの中で、自分のルーツを表現できたものが何もなかったんですよ。MONDO GROSSOでも、パンキッシュなムードはあったにせよ、ジャズファンクが基本でしたしね。なので、いつかは自分のルーツを若いメンバーと一緒に表現してみたいと思っていましたし、豪太さんとも共通して、自分のルーツに回帰しているモードの中でAMPSの活動を始めたんです」
──
大沢さんは若い世代に自分のルーツとなったものを伝えたいという意思も含まれているのでしょうか?

 

O
「そこまで大仰なことでもないのですが、今のバンドメンバーは40代前半、30代、そして一番若いヴォーカルのアンヌさんは21歳なので、僕が一番の年長者なんです。何となくニューウェーヴの匂いは知っているものの、やはり世代が違うので、僕が『Talking Headsのあの曲』と言っても伝わらないんですよ(笑)。でも実際に聴いて『今のバンドより全然すごい』と驚いたりします。今ネットになんでもあって自分で掘り下げる機会が少ないので、大げさですが貴重な継承の機会だと思っています」
Y
「DUBFORCEのトランペットのSAKIちゃんもまだ20代だな。そう考えるとうちのバンドには20代から50代までいるんだ(笑)。昔からバンドって、レコード屋で物色しているうちに同じ趣味を持った人たちが集まって始めるようなところがあるじゃないですか。それがこれまでの僕の人生の中でひしめき合ってきた結果、今DUBFORCEがあるという感じなんですよ」
──
ただ今はSNSを通じてのメンバー集めが一般的になってきていたりと、時代性という意味ではかなり変わってきています。
O
「時代は変わってもSNSで集まるような情報って、たかが知れていると思うんですよ。うちはそれよりも知人の紹介や推薦で集まっているので、やっぱり信用度が全然違うと思うんです」

Y
「それはうちもそうで、昔から変わらないですね。誰かに『あいつ面白いよ。やってみる?』って言われて集まることで今までやってきましたし」
──
そういった人と人との繋がりもバンドの楽しさの一つなのでしょうか?
Y
「間違いなくそうですね。大沢くんもそうですが、僕は自分一人でスタジオに籠ってトラック作りをすることもあって、それはそれで楽しいのですが、やっぱりコミュニケーションも含めて人と音楽をやるのは楽しいですよ。不思議なもので、メンバーが一人変わっただけでバンドの雰囲気も音もがガラッと変わるじゃないですか。それがバンドのすごいところで、楽しみでもありますよね」
──
“ダブ”や”ニューウェーヴ”といった音楽的なジャンルだけでなく、”バンド”というスタイル自体がお二人のルーツへの回帰と言えるのでしょうか?
O
「僕はあまりにも長い間一人で打ち込みをやってきたことと、DJというフォーマットに対してちょっと飽きているんだと思います。誰かの前でパフォーマンスをする時に、もうターンテーブルじゃなくていいかなと思うようになってきていて。自分の曲をやる時にも、CDJではなくちゃんと楽器を持ってやりたいんです。その点、豪太さんはこれまでも日常的に楽器に触れてきていらっしゃると思いますけど」
Y
「でも僕もロンドンにいた時は一人でトラック制作の作業をすることが多くて、バンドでライブをやるという機会は少なかったんですよ。だから大沢くんが感じている気持ちに近い部分はあるかもしれない。日本に帰ってきてからの方がドラムを叩いている時間は全然長いですしね。もちろん時代によっての流れというのもあるとは思いますが、今はもっとドラムが叩きたい、ライブがしたい、バンドがやりたいという意欲が増していますね」
──
今は音源として完成したものがあって、それをライブで表現するという流れが一般的だと思いますが、お二人はまずライブありきの活動スタイルとなっていますね。