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THINK PIECE

ダゲレオタイプの女

黒沢清、海外初進出作品
「映画に関する言語は、世界共通だと思います」

16 10/13 UP

photo: Takehiro Goto
interview: Tetsuya Suzuki
text: Ryu Nakaoka

日本国内のみならず、ヨーロッパを中心に海外で高い人気と評価を獲得している映画監督、黒沢清。
最新作『ダゲレオタイプの女』は、監督以外の全員がフランス人という編成で撮影された、彼にとって
海外初進出となる作品だ。パリ郊外の古い屋敷に住む、世界最古の写真撮影方法「ダゲレオタイプ」の写真家と、
モデルを務める娘。写真家のアシスタントとなった青年は、娘と恋に落ち、「ダゲレオタイプ」が引き起こす
愛と死の悲劇に巻き込まれていく……。自身の真骨頂であるゴーストストーリーを、
「フランス映画」として表現した本作について、黒沢清に話を聞いた。

 

──
『ダゲレオタイプの女』はフランス人のキャスト、スタッフと一緒に制作されたということですが、映画を撮っていく上で、これまでと異なる点はありましたか。
「撮影をしていく行為は、驚くほど日本と同じでしたね。言葉が通じないので、通訳を挟むわけですが、僕の狙いが瞬時に伝わったり、それを面白いと思ってもらったりして、映画をつくるための言語は日本もフランスも全く変わらないことを実感しました。ただ、文化の違いを感じたのは、撮影に入る前に、主演の俳優(タハール・ラヒム)と初めて会って話したときです。事前に渡してあった脚本の感想を聞くと、『この台詞をなぜここで言うのかわからない』とか、たくさん質問されるわけです。しどろもどろで答えて話を終えたとき、何だか絶望的な気持ちになりました。そんなに疑問だらけなのだとしたら、演技してもらうのは難しいのではないかな……、と。するとプロデューサーに、『何を言っているんだ、彼はものすごくやる気じゃないか!』と言われたんです。つまり彼は、自分がいかにやる気があるのかということを、たくさん質問があるということで表現していた。逆に日本の場合、『何の疑問もありません』という態度で、やる気を表明する。しかし最終的には、フランスでは重要な質問は5つくらいに絞られて、日本でも撮影していくうちに5つくらい質問が出てくるので、結果は同じなんです」

──
海外で制作されていても、作品には黒沢監督らしさが全面的に出ていたように感じました。いわゆるホラー映画とは違った幽霊の描き方は黒沢監督が得意とするところだと思いますが、今作の場合、そのテーマ設定はどの時点で決まったのでしょう。
「実は、今作の元になった物語は、15年ほど前、Jホラーが世界で流行りつつあったときに、イギリスのプロデューサーに声を掛けられて思い付いたものです。当時、『イギリスで撮るなら、古いお屋敷が舞台のゴシックホラーだよね』という単純な欲望が芽生えまして(笑)、それが今回にも受け継がれています。フランスから撮影の依頼が来たときには、別にホラーという条件はなかったのですが、自然に、以前考えたその物語をベースにするのがいいのではないかと感じました。僕は日本人で、フランスの社会の抱えている問題や生々しい現実をそのまま扱うことはできないし、もし扱ったとしたら、本当に表面的なことにしかなりません。したがって、フランスで撮るなら『ジャンル映画』しかないと最初からわかっていました。フランスの現実はよくわからないけれど、ホラー映画というジャンルの形式を踏襲すれば、世界共通の映画として認めてもらえると考えたのです。フランス側のプロデューサーもそれが一番いいと言ってくれて、ゴーストストーリーが基本になりました」
──
15年前の脚本の段階から、ダゲレオタイプというモチーフの着想はあったのでしょうか。

 

 

「最初の時点で、ダゲレオタイプが出てくるストーリーになっていました。それをフランスで組み立て直すとなったとき、新たに膨らませていったのは、若い男女のラブストーリーの要素です。恋人同士の二人が犯罪のようなものに絡み、社会からドロップアウトしていくという流れ。たぶん、フランスで撮影するということで、無意識にヌーベルバーグを思い出していたのだと思います。いままで自分の映画の中でやったことはありませんでしたが、60年代のフランス映画には、若い男女がちょっと悪いことをして、パリから郊外へ車で逃げていくというストーリーが結構たくさんありましたよね」
──
若い男女のラブストーリーではあっても、『ダゲレオタイプの女』では、幽霊と幽霊に恋する生きた人間のお話となっています。
「この映画に登場する幽霊の元は、日本の怪談です。『四谷怪談』を連想してもらえればすぐにわかりますが、それはゴーストストーリーといっても、物語の最初に幽霊はいないんです。

まず生きている男女の関係があって、途中で女性が死に、死んだ女の幽霊と生きている男の関係になっていく。こういった形式のゴーストストーリーは、西洋にはほぼないと思いますし、近年のJホラーでもあまりない。例えば、『リング』の貞子は最初から幽霊ですよね。この、『日本の怪談の形式を海外の土壌で描く』というアイデアは、イギリスで考えていたときにもありました。その上で、フランスで撮るとなったら、途中で死んでしまった女の幽霊と男の間を繋ぐものは、日本の怪談のような『恨み』ではなく、『愛』であることを強調しようと思いました」
──
前々作『岸辺の旅』についてのインタビュー(※)の際にも伺いましたが、黒沢監督にとっての幽霊は、ジャンル映画として物語を構成するためのギミックでありながらも、それ以上の象徴的な意味があるのではないかと思うのですけれども。
「ギミックと言っていいのかわかりませんが、たしかに、幽霊を映画に持ち込むと、いろんな怖がらせ方があり、様々な方法で『使える』。ただ、おっしゃるように『岸辺の旅』も今回も、幽霊の怖い面だけを描いているわけではありません。幽霊を『死者』と考えれば、それは特殊なモンスターではなくて、この間まで生きていた『人』であり、僕たちとそんなに変わりないですよね。死んだ人を懐かしく思い出したり、愛しく思いつづけたりということはいくらでもある。ホラーとして描かない場合、普通の人間関係の一つとして、生きている者と死んだ者のドラマがつくれると思っています。死者は、現実ではなかなか目の前に現れてくれないので、心の中だけのものになってしまいますが、幸い、映画では生きた俳優が演じるものとして幽霊を登場させられるので、豊かな表現になりますね」

 

(※)『岸辺の旅』についてのインタビュー
http://www.honeyee.com/think/2015/kiyoshi_kurosawa/