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THINK PIECE

The Man Who Fell to Earth

『地球に落ちて来た男』リバイバル上映
“デヴィッド・ボウイのスタイリスト”高橋靖子が語る記憶

16 7/28 UP

interview: Yasuhito Higuchi(boid)
text: Ryu Nakaoka

2016年1月に永眠したデヴィッド・ボウイの初主演作『地球に落ちて来た男』(1976年)がリバイバル上映中。
本作では地球に突如やってきた美貌の宇宙人役としてスクリーンに登場し、現実でもアルバムごとに
架空のキャラクターを演じ続けてきたデヴィッド・ボウイだが、生身の彼はどんな人物だったのだろうか?
山本寛斎とデヴィッド・ボウイを結びつけ、『Heroes』(1977年)のジャケットの衣装も手がけた
スタイリストの高橋靖子に、彼との交流について聞いた。

 

──
高橋さんがはじめにロンドンに行かれたのが1971年で、その後1973年にデヴィッド・ボウイのステージ衣装を手がけられています。その間に、どのようにデヴィッド・ボウイと知り合ったのか、何が起こったのかといったことについて、順を追ってお聞きできればと思います。
「スタイリストとしての修行のために、それまでニューヨークには二回行ったことがあって、今度はパリかロンドンに行こうと思ってました。そのとき、(山本)寛斎さんに“自分のお金じゃなくて、他人のお金で行ったらいいんじゃない?”と言われて、ロンドンでのファッションショーのプロデュースを頼まれたわけです。で、ショーのプロデュースって何をするのか全然知らないし、ロンドンには行ったことがないし、っていう状態だったけど、一人でロンドンに乗り込んでみました。知り合いだった伊丹十三(当時は一三)さんから、マイケル・チャオという人のことだけ聞いて、とにかく訪ねて行きました。そしたら彼の『ミスター・チャオ』という中華レストランが音楽関係やファッション関係の人の溜まり場で、そこで人脈を作って、寛斎さんのショーを成功させることができちゃったんです」
──
すごい行動力ですね! そこから、二度目の渡英のきっかけは?
「ロンドンで知り合った人たちの中に、ローリング・ストーンズのマネージャーがいて、“来月から今度はT・レックスのマネージャーやるんだ”と聞いて帰ってきました。そしたらあるとき、原宿の喫茶店のLEONで鋤田(正義)さんと知り合って、彼は私がロンドンにいたのを知っていたから、“T・レックスの写真が撮りたいからロンドンに行ってくれる?”と言われて。それでまたすぐロンドンに飛んで、例のマネージャーのところを訪ねたんですけど、その人はギャラが安いことを理由に辞めてしまってました(笑)。でも、他の人からT・レックスの事務所は紹介してもらうことができて、そこで鋤田さんの写真を見せたら、即答でOKでした。二人でマーク・ボランを撮影したあと、ロンドンの街をぶらぶら歩いていたとき、街中になんか不思議なポスターが貼ってあって、“この人誰なんだろう”、“撮りたいね”となって」
──
それが、デヴィッド・ボウイだったと。そこではじめて彼の存在を知ったんですか?

 

1973年「アラジン・セイン」公演(photo: Masayoshi Sukita)

 

「私はそう。音楽にとても詳しかった鋤田さんも、名前くらいは知っていたようだけど、そんなに深くは知らなかったんじゃないでしょうか。とにかくそのポスターが強烈だったので、デヴィッドの所属するRCAレコードに電話をかけてアポを取り、会いに行って、鋤田さんの作品を見せたら、やっぱりその場で話が決まった。これって、私のプロデュースの才能とかそういう話ではなくてね、“これが取れたら死んでもいい!”くらいの気持ちだっただけなのです(笑)。もちろん鋤田さんの写真が素晴らしいのもあって、トントン拍子でした」
──
1972年のことですね。ということは、NYでのコンサートは翌年なので、時間としてかなり短かった。
「そう。時代が良かったと思うし、私は素晴らしい機会と遭遇する運に恵まれているんだと思います。最初の撮影のあと、“デヴィッド・ボウイがアメリカに進出するから、スタイリストをしてくれない?”と言われたんです。“これは寛斎さんの衣装しかない”、と思って、ロンドンのショーで使ったものを全部持って行きました。ラジオシティホールでの『アラジン・セイン』の公演。リハを見たら、それはもうすごかったので、ロンドンから東京にいる寛斎さんに電話しました。向こうは深夜で、5回くらい掛けて叩き起こしました(笑)。しかもそのとき、寛斎さんは私が寛斎さんの服でそんなことをしてるって知らないのです(笑)。でも、“とにかく来た方がいい”って
説得したら、寛斎さんは翌朝飛行機に乗って、開演ギリギリに会場に着きました。私は楽屋裏でフィッティングしていたから知らないんだけど、超ド派手な格好で客席に座ったらしい(笑)。そこから寛斎さんも私も個人的にデヴィッドと仲良くなって、いろいろお手伝いをするようになったんです」
──
このライブをきっかけに、デヴィッド・ボウイとの個人的な親交も生まれたんですね。
「私は性格があまり日本人っぽくなくて、デヴィッドにも、“ヤッコは日本人じゃないな”って言われたこともあるし、そこが親しみやすかったのかもしれない。でもデヴィッドは日本が大好きで、しょっちゅう来ていて、そのときにはお世話したり、スタイリングをしたり、ショッピングに連れて行ったり、いろいろしました」
──
日本人っぽくない高橋さんと、日本好きのデヴィッド・ボウイとの組み合わせが面白いですね。『地球に落ちて来た男』は、1975年くらいの撮影、1976年の公開ですが、この頃はどういう関係性でしたか?
「私も鋤田さんも、デヴィッドとかなり親しかった時期だったと思う。ただ、鋤田さんは音楽も映画も詳しかったんだけど、私は何も知らなかった(笑)」