MASANOBU SUGATSUKE
急速に加速する「中身化する社会」の未来像
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photo: Kentaro Matsumoto interview & text: Tetsuya Suzuki, Madoka Hattori
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- ファッションにおいては、ブランドビジネスの加速化、拡大化が、“本来はそれを必要としない人”にまで売りはじめたということに尽きると思う。まあ、家や車もそうです。ただ一方で、本当にそのブランドの服を必要としている人、デザイナーのクリエイションを理解し、共感する人もいる。その意味では消費が本質化しているとも言えます。
- 「ラグジュアリー・ブランドの最後の方法論として、ロゴを露骨に出さずにクオリティが高く、ある一つの美意識で作られているディスクリート(控えめ)・ラグジュアリーがトレンドになっていますよね。ラグジュアリーの消費も、見栄や一過性の流行から実質的で控えめになっているわけです。ファッションがなくなるのではなく、“それを持っていないとマズイ、流行っているから手にしよう”という強迫観念はかなりなくなると思います」
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- ファッションが好き、というときのその“好き”というのは、その価値を本質的に理解していることだと思うのです。そういう人は引き続きファッションにお金を使うと思いますが。
- 「生き方に合っているかどうかが評価基準になるのではないでしょうか。今は消費よりも、自分らしい生き方のほうが大切なわけです。欲しいモノはいくらあったとしても、人々は自分の生き方に本当に必要かどうかを問い直している。そしてその人の消費行動が、その人自身にあっているかどうか、ソーシャルメディアの力で他人から見えやすくなってしまっている。コレは合っていないな、無理しているな、というのも見えてしまう。あなたはどういった生き方としているのか。自分にとって、誰と付き合うのか、何が必要なのかをはっきりさせなければいけない。息苦しいという人もいると思いますが、それは自分が何を欲しているかわかっていないからだと思います。自分ととことん向き合わないといけないので大変な時代だとは思いますが、ある意味では本質的でいい時代ですよ。中身化した社会では見栄を張る無駄がなくなり、悪くいえば地味で禁欲的な状態になるかもしれません」
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- その「地味で禁欲的な時代」において、クリエイティブなモノは生まれるのでしょうか?
- 「もちろん、時代にあったクリエイションは生まれてくるはずです。本でも取り上げたシンガーのアデルは典型ですよね。とりたてて美人ではない彼女がここまでブレイクしているというのは、本質的だからだと思います。ファッションやインテリアも同じ。今求められているのは、80年代や90年代の煌びやかな派手さではなく、地味というか、ストイックで真面目なモノだと思います。実は、ある人からこの本は残酷だと言われました。ここに書かれている社会に適応できる人はなかなかいないと。しかし、こういう事例がすでに多数あり、社会にその要素がでてきている。早かれ遅かれ、社会は中身化せざるをえないのではと思います」
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- 中身とはコンテンツだと考えれば、コンテンツがいろんな人の手で完成されていく時代でもあると思います。いわば、「社会化する中身(コンテンツ)」になっていく、という言い方もできるかもしれません。例えば、この本も、あえて事例のみを提示して答えを出していない。新書というフォーマットは、わかりやすい答えやハウツーを求められると思うのですが。つまり、この本自体が同時代的なソーシャルを体現した“社会化した中身(コンテンツ)”なのである、というのはどうでしょう?
- 「そうですね。ディテールの積み上げることでしか、社会の大きな意識の変化を伝えられないんです。中身化する社会というタイトルから、人々が内側に籠っていくイメージがあるかもしれませんが、自分の中身を社会化しようという動きを伝えているつもりです。つまり個人が大きな社会的発言力と社会的ネットワークを持つ時代が到来したわけですから。個人が社会化することをしんどいと思う人もいれば、そこにモチベーションを感じる人もいる。しかしそこで、具体的に事細かくこうすれば幸せになるということを提示してしまうと、新たな“幸福リスト”ができてしまう。それでは、中身化する社会の本質を伝えきれない。どちらが正しい、正しくないではなく、あなたは中身を充実させ、それを社会化させる生き方と、今までどおりのイメージや見た目優先の生き方のどちらを選びますか? という問いを、この本では投げかけているんです」
「中身化する社会」 菅付雅信
講談社
861円[税込]
発売中
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