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THINK PIECE

BOYS NOIZE

さらに刺激を増したBOYS NOIZEの
新たなサウンド

09 11/12 UP

Text: Shoichi Kajino

デビューアルバム『Oi Oi Oi』ではエレクトロ・シーンを定義付けしたBOYS NOIZEが2年ぶりにリリースしたばかりのニューアルバム『POWER』とともに日本に戻ってくる! 先頃のI LOVE TECHNO 2009では堂々のヘッドライナーをつとめるなど、実力・評価も高まる中、さらに刺激を増した新たなサウンドは、ハイプを超えて、もはやカオティックなまでの広がりをみせるシーンに対してのBOYS NOIZEからの回答になるのだろうか? 来日を直前に控えたインタヴューでは、独自の音へのこだわりからシーンへの率直な見解までを語ってくれた。

 

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まずは強烈なアルバムの誕生おめでとうございます! 白、赤、黒のシンプルで強いジャケットのイメージと「POWER」というタイトル、さらには「Trooper」というトラックなど(どことなくナチスをイメージさせる、それらの要素はドイツ人であるあなたからの)意味深なメッセージの隠されたアルバムのようにとれるのは、考えすぎでしょうか?
「ハハハ、完全に考えすぎだね(笑)。『POWER』という言葉は単純に僕の音楽に合うと思ったし、このタイトルはアルバムが完成する前から決めていたんだ。デザインについてもこれまでのBoysnoize Recordsのリリースを見れば同じヴァイブを感じるだろう。僕らはシンプルでいたいんだ」
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前作がトラック単位で独立したアルバムだったように感じたのに比べて、今回はアルバムでひとつの壮大なストーリーがうねるような印象を受けたのですが、制作の段階で、そのような意識はありましたか?
「何も計画してたわけじゃないよ! いつも通りにトラックを作っただけさ」

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「Oi Oi Oi」は内容とそのタイミングから、エレクトロというジャンルの確立と拡大のエポック・メイキングなアルバムになったと思うのですが、ご自身でそういう実感はありましたか?
「僕がその『Oi Oi Oi』のレコーディングをしていた2005年、2006年という時期は、僕はただ、その当時の退屈だったミニマルやテクノ・シーンの外側にある何かを作りたいと思っていたんだ。その当時はクラブやフェスティバルでそんな音楽をプレイするのは僕くらいだったし、僕が作ったトラックを好きだと思ってくれるたくさんのDJがいたことも確かだけれど、彼らはどうやってその音楽をプレイしていいのか分かってなかった。僕にとってはそれは全くの問題外だったけれどね。今ではその時の音はなにも特別なものじゃなくなってしまっているから、僕は誰も作ったことのないようなトラックで自分にサプライズを与え続けなきゃいけない――例えば今回のアルバムの『Trooper』や『Transmission』のようなね」
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シーンも熟成してきた今、「POWER」はより自分自身の“オリジナリティ”に向き合う成熟期、あるいはターニング・ポイントのアルバムかと思います。そういう意味でも「パワフル」なアルバムだと思うのですが、自分にとって最も強いオリジナリティはどのようなものであると感じますか?
「んー、それは僕自身でコントロール出来るものではないんだと思う。僕の耳が音から音へと僕を導いてくれるからね。もちろん10年以上も音を作ってDJをやっているから、たくさんの音も知っているし、それだから僕は常に普通とは違った文脈の中で音を探すことも出来るんだろうけれど。それから僕はトラックを作る際、いつも「ゼロ」からスタートするようにしているんだ。決して自分自身をコピーしないんだ」

 

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フランスのJUSTICEやED Bangerクルー、日本のDEXPISTOLS、そしてアメリカではSteve Aokiなど、ヨーロッパに端を発しながら、「エレクトロ」というジャンルはそれぞれに刺激を与えながら、世界中でオリジナルな発展を遂げてきたように感じます。ベルリンを拠点にしながら、世界中を回ってきたあなたは、ここ数年どのようなふうにシーンを見てきましたか?
「さっきも言った通り、僕がBOYS NOIZEを始めたとき、あらゆる“ハイプ”や“クール”な場所のアウトサイドなことをやりたかったんだ。そしてDJとして僕自身を揺らしてくれるトラックを作りたかった。その時期、ゴストリーやコムパクトからのジャッキン・テクノをのぞいて、そんな音楽をプレイしていたDJはいなかったんだ。僕がミックスを始めるとそれまでのDJとは完全に別のレベルのものになっていたよ。フロアは狂ったようになって、ロックのライヴのように飛び跳ねてね。2005年、――例えば、Sebastianが『Smoking Kills』を出し、すぐにJUSTICEが『Water of Nazareth』をリリースしたときは、僕にとってもすごく新鮮な何かを感じたし、その後、ご存知のように僕らはたくさんのギグで一緒にプレイすることになった。Erol Alkan、ED Banger、それからきっとInstitubesやSwitchなんかも、僕らは小さな「ライオット(暴動)」のグループのようだった。お互いがお互いのファンで、トラックを共有して、その楽しさやクレイジーな部分をクラブに持ち帰って…。
2006年、僕は初めてステージからダイヴしたんだ。そこにいた誰もが「彼は何やってるつもりだろう…?」って感じになったんだけれど、そのときの僕は、酔っぱらって完ぺきにイカれたパーティの中でその瞬間に達してしまったんだ(笑)。2年も経った頃にはこのエレクトロの音はすでに大きくなって、よりたくさんのDJがこの音(エレクトロ)をかけるようになったし、それにつられてトラック・メイカーもある同じ方向に向かっていくようになってしまった。僕が思うに、2007年はブログやマイスペースの年で、それまでのDJやクラブの世界とは全く別の世界にいた人たちまでが僕らの音楽を耳にするようになって、突然まったく異なる次元に移ったんだ。さらに2008年にはアメリカの連中もその音に乗っかるようになって来て、続々出てくるますますシッティなプロダクションによってまた違う次元に持っていかれてしまったよ――すなわち、僕にとってまったく興味のない次元にね。今じゃあ、どんなDJでもターンテーブルの台に飛び上がって、毎晩5回はステージ・ダイヴしてるじゃないか、それが“クール”ってことでね。分かるだろう? でも、そうだよ。僕はそのムーヴメントに参加できたのをうれしく思っているし、今も新しい何かを提示するポジションにいられることをうれしく思うよ」