honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」

Mail News

THINK PIECE

EDEN/エデン

90年代、パリのクラブシーンで夢を追いかけた若きDJの物語。
瀧見憲司と梶野彰一に訊く、本作の見どころ

15 9/10 UP

photo: Kentaro Matsumoto
interview: Tetsuya Suzuki
text: Aika Kawada

 

T
「前半は、ソウル ミュージックを巡るロードムーヴィーでもあるよね、聖地巡礼というか。そういう意味では、伝統的な映画のプロットを踏んでいたように感じます。この映画では、そこにあるのは“パラダイス ガラージ オブセッション”。行ったことも見たこともない“パラダイス ガラージ”の幻想だけが膨らみ、それを執拗に追い求める姿を描いている。作中で、ポール=スヴェンがソウルフルなスタイルにすごくこだわっていますよね。つまり黒人コンプレックスとオリジナル原理主義で、結局アメリカン ブラック ミュージックへの憧憬。彼のDJとして失敗の原因は、そこに頑だったところにあるのかなと思います。だから、拘りに対する教訓映画でもあるよね」
──
ブレイク前のDaft Punkが度々登場しますが。
K
「映画として、うまいと思うのはDaft Punkの存在を効果的に使っているところですね。作中の時間の流れを象徴する役割でもあり、
どんどんスターになっていく彼らと、それに反比例するポールの対比も象徴的。結成間もないDaft Punkが自分たちのホームパーティでかけるシーンもいいですよね。彼らの歩みが始まる感じがあって」
T
「作中の要所でかかるDaft Punkの曲は、その場面の主人公の気持ちも代弁しているよね。その最初の曲が『Da Funk』でしょ。しかも彼らがあえてミックスしないで突っ込むところを撮っているところに監督とスヴェン・ラヴの拘りが感じられるね(笑)。セカンドアルバム『Discovery』(01年)に入っている裏名曲『Veridis Quo』を入れるところも冴えていると思いました」
K
「その曲への思いを、スヴェン・ラヴが“この曲は見逃されていた名曲。『One More Time』の派手なヒットの裏でみんなが気づいていないけど”と言っていましたよ」

 

Daft Punkがホームパーティでプレイする「Da Funk」

 

アルノー・アズレイがギイ、ヴァンサン・ラコストがトマを演じるDaft Punk

Daft Punkの服装から髪型、クラブのドアマンから受ける待遇まで忠実に再現

 

T
「この曲は今でもかけられるし、VultureやKris Menaceがこの曲の肝をフォローしたトラックをリリースしていたり、フレンチ ハウスの一つの型でもあるしね。そして終盤にかかる『Random Access Memories』(13年)の『Within』という曲の歌詞は、“俺はもう全てが理解できないよ、説明できない、自分は一体誰なんだ”っていう内容で、続く第2部『LOST IN MUSIC』の音楽シーンへの主人公の失望を表現しているわけです。皮肉なことに、このシーンで美人女DJがPCを使ってプレイしているし……誰も踊ってない」
K
「最初はDJがアナログでプレイして、数年後にはCDになって、最後はPCになっていますね。全編で実は20年も経っているというのが、そういう細かいところで、やっとわかる(笑)」
──
フレンチ タッチを舞台にした青春映画としては、第1部だけで描くこともできたかと思います。第2部をつける必要性は、どのあたりにあったのでしょう。
K
「第1部で完結したら、ただの成功したDJの楽しい物語で、あのころは楽しかっただけで終わってしまいますよね。第2部は、スヴェン・ラヴは特に自分をポールに投影していると思います。最終的には、俺もう他の道しかないのかな、みたいな雰囲気になっちゃうわけだし……事実、彼は、現在パリで文学を専攻する学生なんですよ」
──
ポール=スヴェンという男の人生を描くとすると、第2部が必要ということでね。
T
「一応、救いがある方向で終わるわけだし、青春群像を描く映画としては完結していると思います。てっきり最近のアメリカの鬱っぽい映画にあるパターンで、メランコリーのまま、もっと悲劇的な感じで終わるのかと思ったけど。わかりやすいカタルシスではない、というところもハウス的にしているのかなとも思えるけど」

 

ダヴィット・ブロ、マティアス・クザンと親交が深いステファン・マネルによる『EDEN』のポスター。
映画のロケーションとしても出てきた、クラブ「シレンシオ」でプロモーションの一貫として展示された。

「マシーンズ・メロディ」
著: ダヴィット・ブロ&マティアス・クザン 序文: ダフト パンク
翻訳: 山田蓉子 後書き: 梶野彰一
パリの伝説のパーティ"Respect"を立ち上げたダヴィット・ブロとそのシーンを描き記したマティアス・クザンによるダンスミュージックの発展史。

──
スヴェン・ラヴ自身が脚本家としてたずさわり、その妹が監督として制作した映画ということで、物語に対する視点がまた違うようにも思います。
K
「その視点は強いですね。あとは、フランス映画だからかどうかわからないですけど、すごく自虐的ですよね。“ダメな俺最高!”みたいな(笑)。最終的に映画することで自己肯定しているという」
T
「確かに(笑)。ダメ男映画の系譜もあるしね。あとシーンの当事者が制作している分、変えられない細かい部分があるんだと思います。周りの人も協力しているのも大きいですよね」
──
瀧見さんは、映画と同時代の音楽シーンを日本で過ごした DJとして、共感する部分はありますか。ブームが、やがて去っていくというリアリティに関して、とか(笑)。
T
「基本的には共感するポイントが多すぎて困る(笑)。変えないところと変えるところのポイントとタイミングについての普遍的な話でもあるよね。DJじゃなくても、自分の青春期と比べて心当たりがある人が多いと思うけれど。その辺がこの映画の今後の評価に繋がるのではないのかな」
──
ボリス・ヴィアンの現代版みたいな見方もできますよね。
T
「そうそう、享楽主義的な青春の光と影。やっぱり音楽の種類が違えど、ジャズにはまるみたいにダンスミュージックにはまって、後先のこと考えずに楽しくやろうとしていたら、友達も死んじゃってお金もなくなった……そういう意味では、ボリス・ヴィアン的パリの青春映画って感じがしますね」
K
「イラストレーションでシーンを記録するシリルは、前半の象徴的な登場人物。シーンは最高潮に盛り上がる中、虚しく“ロスト”して燃え尽き、自分を捨ててしまう」
T
「90年代は何かに完全にハマれて、それで自我を崩壊させるレベルまでいけばトップになれた最後の時代かもしれないですね。幻想というか、勘違いのローカリズムが通用してオリジナルが生まれたというか。2000年代以降って、そこまで対象に埋没していかない感じがする。何でもできるけどなんにもできない的な。何か対象に対し、そのためだったら死ねるかっていうようなところまでいかないというか。でもこの映画は、対象に埋没しているのにキャリアも埋没、という姿を残酷に描いているという」
──
『マシーンズ・メロディ』がかなりフィーチャーされていますね。