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photo: Yoshie Tominaga(p1 Patti Smith)
詩人アレン・ギンズバーグが生誕90年を迎える今年、パティ・スミスとフィリップ・グラスが日本公演を行う。演目は、ギンズバーグへのオマージュである「THE POET SPEAKS」。今尚語り継がれるギンズバーグのスピリットである、反戦、平和への切なる願い、そして物質社会への反抗をフィリップ・グラスが奏でるピアノとパティ・スミスのボーカルとギターでポエトリー・リーディングを行う。日本公演にむけての翻訳は、村上春樹と柴田元幸が手がけているのも注目したい。一夜の夢のようなアーティストたちの競演を目前に、パティ・スミスとフィリップ・グラスがハニカムだけに語った言葉とは。村上春樹と柴田元幸の寄稿文とともにお送りする。
1926年6月3日〜19997年4月5日没。ビート文学を代表する詩人、カウンター・カルチャーのアイコン。世界で最も広く読まれる詩人のひとりで、代表作「HOWL (邦題:吠える)」はこれまで22言語で出版されている。個人の行動や創造が、文学や音楽を通じて大きな力となり、社会を変えていく「ムーブメント」の体現者でもあった彼は、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ジョニー・デップ、ジョー・ストラマー(THE CLASH)ら、彼を敬愛する多様なアーティストと交流を持った。
1946年12月30日米シカゴ生まれのミュージシャン・詩人。21歳の時ニューヨークへ渡り、後の写真家ロバート・メープルソープと出会う。朗読を行う詩人としてステージに立ちはじめ、後にギタリストレニー・ケイらとパティ・スミス・グループを結成。メープルソープがジャケットを撮影したデビュー作『Horses』をはじめ4枚のアルバムを発表。79年、デトロイトへ移住。表だった演奏活動からは退く。フレッド・スミスと結婚し、アルバム『Dream of Life』を共作するも、94年フレッドは病のため急逝。失意の中、ボブ・ディラン、アレン・ギンズバーグらの励ましをうけ、1995年新アルバム『Gone Again』とともに活動を再開。社会活動にも強い関わりを持ち、反戦運動をはじめ、様々な人権擁護団体の活動にも参加する。
1937年1月31日米メリーランド州ボルチモア生まれの現代音楽家。76年、舞台芸術界の伝説的作品『浜辺のアインシュタイン』発表。以降、オペラ、ダンス、映画からオーケストラ楽曲に至るまで活動は多岐に渡る。これまでデヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガー、ベックなど彼の作品を敬愛する音楽家との多くのコラボレーションを行った。映画音楽の代表作にダライ・ラマ14世の半生を描いた映画『クンドゥン』、『美女と野獣』など。オペラ作品は、ガンジーの非暴力主義を扱った『サティヤグラハ』、ウォルト・ディズニーの人生最期の日々に光をあてた『ザ・パーフェクト・アメリカン』などで知られる。
僕が数年前にベルリンで何かの賞を受けたとき、授賞式にパティ・スミスさんがわざわざ飛行機に乗って来てくれて、お祝いのギター弾き語りをしてくれた。主宰したドイツの新聞社の人に「またどうして?」ときいたら、「声をかけてみたら喜んできてくれた。自分のマイレージで切符を買うから交通費はいらない。そのかわりブレヒトがベルリンで定宿にしていたホテルの部屋をとってくれ。それが彼女の出した唯一の条件だった」ということだった。
式のあとで二人でご飯を食べながらいろんな話をした。ずいぶん不思議な人だった。まるで地上から数センチだけ浮かんで生きているような人だ。今回、来日する彼女のために、彼女とアレン・ギンズバーグの詩の翻訳ができることを、僕としてはとても嬉しく思う。彼女の鋭くタフなヴォイスに負けないような翻訳ができるといいのだけれど。
村上春樹
詩とは、ことばの「意味」としての側面だけでなく、「音」としての側面も目いっぱい活用する営みです。いわば、アタマのみならずカラダにもつながることば。
アレン・ギンズバーグは、だれにもまして、ことばとカラダのつながりを、まさに身をもって演じてみせた詩人でした。
そういう、音やカラダと密接した詩を訳すのは、原理的に困難です。何しろ、訳したら、音はガラッと変わってしまうのですから。
でも、強い詩には、そういう困難を超えて伝わるものがあります。ギンズバーグの詩にも、パティ・スミスさんの詩にも、それがあります。ましてや、フィリップ・グラスさんの音楽という、もうひとつの強い音、強いカラダがそこに加わるのですから、大丈夫です。
けれどそのためには、翻訳者がちゃんと仕事をしないといけません。現代文化を世界的に代表する御三人の中に一介の翻訳家がまぎれ込むのはどう考えても場違いなのですが、まさに「末席を汚(けが)す」ことにならぬようがんばります。