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THINK PIECE

DEERHOOF

天性のポップ感覚を併せ持つ
米インディー・ロック界の異才バンド

09 4/1 UP

Text:Mayumi Horiguchi

サンフランシスコを拠点に活動するバンド、ディアフーフ。様々な言語が大胆に絡み合うリリックとローファイ・サウンドが見事に混じり合い、このバンドならではの摩訶不思議な世界を創造することに成功している作品群。そして定評のあるライヴ・パフォーマンスはといえば、作品が内包する独特の世界観を反映したものでは無論あるが、作品とはまた別物といった、異なる魅力を持っており、観るたびに新鮮な驚きを受けずにはいられない。メンバーの再編に伴い再び4人組となった今回の来日公演では、ジョンとエド、二人のギタリストが奏でる迫力のツイン・ギターに、グレッグのユニークかつパワフルなドラミングが見事にマッチ。エネルギッシュさが増幅され、圧巻の一言だ。そこにサトミの奏でるベース&日本語と英語が交錯するリリックが加わり、ライヴ会場は一気に「異世界」へと瞬間移動したかのようなワンダーランドとなる。「これぞまさにディアフーフならでは!」と叫ばずにはいられない、強烈な一夜であった。翌日、興奮醒めやらぬまま、バンドへのインタビューを敢行。結成のいきさつから、アートへの想い、さらにはマルーン5のリミックス・アルバムへ参加することになった経緯まで、いろいろ訊いてみた。

Deerhoof / ディアフーフ

サトミ・マツザキ(B & Vo)、グレッグ・ソーニア (Dr)、ジョン・ディートリック(G)、エド・ロドリゲス (G)から成る、オルタナティヴ/ローファイ/ノイズ・ロック・バンド。同業であるミュージシャンからも絶賛される存在で、レディオヘッドのトム・ヨークにいたっては、アルバム『フレンド・オポチュニティ』を愛聴盤としてあげ、ツアーにも同行させたほど。その他にも、サーストン・ムーア(ソニック・ユース)、デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・バーン、デヴィッド・シルヴィアン、ウェイン・コイン(フレーミング・リップス)、クエストラヴ(ザ・ルーツ)など、様々なアーティストたちから多大なリスペクトを受けている。ポップとロックが見事に融合したライヴ・パフォーマンスや、アーティスティックなアルバム・カヴァーも常に話題を集めている。

Official Site
http://www.p-vine.com/artist/deerhoof
http://deerhoof.killrockstars.com/

MySpace
http://www.myspace.com/deerhoof

 

──
ディアフーフは、1994年にサンフランシスコでグレッグと旧メンバーであるロブ・フィスクによって結成されたとありますが、これは正しい情報なの?
グレッグ・ソーニア(以下G)
「まぁまぁホント。ちょっとウソ。ロブ個人のサイド・プロジェクトだったんだ。インプロヴィゼーションのね。僕とロブは、90年代の初めに別のバンドを一緒にやってた。ジャンルは“グランジ/ゴス/ジャズ・フュージョン”で、そのスタイルを演奏するバンドとしては、当時すごく人気があった。ファンも大勢いた。でも、このバンドの話は重要じゃない(笑)。まあ話を戻すと、ディアフーフはロブのソロとしてスタートしたんだ。季節は'94年の秋だったはず。なぜなら、茶色の葉っぱがカセット・テープ・ボックスの上に貼ってあったんだ。下手に触ったらボロボロ取れちゃうようなもので、取り扱いには注意が必要だね。ロブは、そのカセットをくれて、僕にも参加しないかと持ちかけてきた。で、バンド練習の集合時間を一時間早くして、その時間をディアフーフの練習にあてるようにしたんだ。それが始まりだね」
サトミ・マツザキ(以下S)
「私も加入した時にもらいました、そのカセット・テープ。オイルのホワイト・プリントで塗ってあって。ディアフーフのロゴの、鹿の爪が書いてあって。紐で結ばれてたんだけど、それを開けるとカセットテープの上に、ボロボロになった葉っぱが3つぐらいくっついてるの。で、さらにまた葉っぱが落ちて、紙の上にわーっと広がって(笑)。ほんと、面白いバンドだなぁって思った」

 

──
サトミさんがディアフーフに加入することになったいきさつは?
S :
「シティ・カレッジでフィルムのクラスを受講するために、サンフランシスコに留学したんです。キャロライナー・レインボーっていうバンドをやっている、共通の友人のクラックスが、“ディアフーフの初7インチ『Return of the Wood M'lady』がキル・ロック・スターズから出たばかりなんだけど、ヴォーカルを探してるからどう?”って言われて。まだ学校に入学する前だったし、ヒマだったから“やります!”って言って。それですぐ、一緒にツアーに出たんですよ」
──
サトミさんが加入した後、何度かメンバーチェンジがあり、'99年にジョンがギタリストとして、'08年には新ギタリストのエドが加わり、現在の編成になったんですよね。
エド・ロドリゲス(以下E)
「そう。このバンドに入ってほぼ一年経ったね。僕とジョンは、15年以上の間、一緒に別のバンドをやってたんだよ。そういう縁もあって、ディアフーフに入らないかと誘われたんだ。僕らは二人ともウィスコンシン州の出身なんだけど、20歳くらいの時にミネアポリスで知り合ったんだよ」
ジョン・ディートリック(以下J)
「そうなんだよ」
──
エドさんは今、おいくつなんですか?
G :
「そういう質問は、しちゃいけないんだぜ〜!!」
──
(苦笑)いや、年齢をお聞きすれば、アメリカの音楽シーンとバンドとの関わりが明白になるな、と思ったんで。最近はインターネットの普及で、マイスペース経由で楽曲を発表して、レーベルとの契約なしにデビューするバンドとか、多くなってるじゃないですか。ピッチフォーク(=Pitchfork;アメリカの音楽メディア)も流行ってるし。でもあなたたちの場合、伝統ある米インディー・レーベルであるキル・ロック・スターズから作品をリリースしているし、全米中をまめにツアーしてもいるので。若いバンドに比べると、オーセンティック(=本物の;本場の、という意味)な存在だな、と。
E :
「今35歳だよ。いまどきの若い子と同様に、僕もマイスペースはまめにチェックしてるよ。その行為自体はネガティブなことだとは思わない。僕自身も、前情報なしに、聴いて興味深いものだったら、どんなバンドでもいいと思うし。“このバンドの人となりはどんななのか?”とか、“どんな聴き方をすべきなのか?”ということで悩んだりはしないね。今の若い子も、同様だと思うよ。悪い点があるとすれば、大好きなミュージシャンにいざ会ってみたら、実はサイテーな奴らだった、っていう経験をすることぐらいじゃない(笑)」
J :
「僕の父親は地元で英語教師をやっているんだけど、父さんの方が、僕より詳しいね(笑)。地元のキッズたちと常に触れあってるから。最新の音楽についていろいろ知ってるんだ。僕が子供の頃は、情報にアクセスする方法が限られていた。例えば、兄がブラック・フラッグのライブを見に行って、“恐かったぜ!”って教えてくれたりとか(笑)。今はひとりひとりが、豊富な情報の中から、自分自身で好みのものを簡単に決定できるようになって、それは良いことだと思うね」