honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」

Mail News

THINK PIECE

MISHKA

「バミューダのボブ・マーリー」が訴える
突き刺すようなメッセージとラブ&ピースに魅せられて

09 8/17 UP

Text:Mayumi Horiguchi

ミシカの辿ってきた人生は、いわゆる世間一般のそれとは、かなり異なるものだ。カリブ海に浮かぶボートを自宅とし、島と島を行き来しながら育ち、現在もカリブ海のネビス島などで暮らしているという。小学校時代は、両親によるホームスクーリング(*注;学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うことをいう。オルタナティブ教育の形式のひとつ)で教育を受けたそうだ。
そんな彼が、ルーツレゲエに惹かれていったのは、ごく自然のなりゆきといえる。自身が敬愛するミュージシャンであるボブ・マーリー同様、現代社会が内包する様々な問題点への警笛を、オーガニックなレゲエ・サウンドに乗せ、強く訴えかけるミシカ。彼のクリエートする音楽は、とてもポジティヴで、愛に溢れていて、心地よい。このほど、5月のグリーンルーム・フェスティバル、8月のサマーソニック09と二度の来日公演を果たしたミシカに、その映画のような人生と音楽に対する想いなど、いろいろ聞いてみた。

MISHKA

カリブのバミューダ諸島出身。3歳から全長12メートルの帆船で育ったという経歴の持ち主。姉はミュージシャンのヘザー・ノヴァ。趣味のウィンド・サーフィンでは、世界選手権のバミューダ代表に選出。オアシスなどを輩出したクリエーションレコードの創始者アラン・マッギーに「バミューダで現代のボブ・マーリーに出会った」と言わしめてデビューを飾る。1999年にデビューアルバム『ミシカ』、2005年に『ワン・ツリー』を発表。2009年3月に、4年ぶりの新作『アバッヴ・ザ・ボーンズ』をリリース。同作は、アメリカのビルボードのレゲエチャート1位を獲得した。アメリカでは、俳優のマシュー・マコノヒーが運営するレーベル「j.k.livin」から作品をリリースしている。

http://www.mishka.com/
http://www.tearbridge.com/mishka/

 

──
まず、あなた自身のことについて教えてください。バミューダ諸島出身なんですよね。
「そう。父親がバミューダ出身で、僕もバミューダで生まれた。母親はカナダ出身だよ。なにもかもが、海辺をベースにして成り立っている国なんだ。狭いから、ハイキングとかは出来ないのさ。父は、僕がすごくちっちゃな頃からボート作りに取りかかって、僕が3歳の時に作り終えて、家族みんなで引っ越したんだ」
──
ご両親は、ヒッピーだったとか?
「ある意味、そんな感じだったね。システムのことは嫌っていた。フリーな思想の人たちなんだよ。子供の頃は、学校には通わずに、両親が先生になってホームスクーリングをしてっていう教育形態だったんだけど、嫌な時もあったね。父も母も頑張ってやっていたけれど、親が先生だと、言うことを聞きたくないときもあるからね。あと、子供だからビーチに行って遊びたい! とか思ったりもするし」
──
当時、同世代の友だちはいたんですか?
「ああ、いたよ。僕と同様、ボート上で暮らしていたキッズがいて、共通点があるから、みんな仲の良い友だち同士だった。何度か、普通の学校に通ったこともあるんだけど、そこでは完全に異端児扱いされてね。奇妙な存在として扱われたりして、他の生徒たちは全然ナイスじゃなかったね。人間って、自分と異なる存在がいると、そういうひどい扱いをしがちじゃない? 共通点を探すよりも、異なる点に目をつけて虐めるんだよ。もしかしたら、嫉妬してたのかもしれないけどね。カナダで学校に通っていた時には、他の生徒たちのメンタリティを理解するのが本当に難しかった。彼らはみな、既存のシステムによって、組織化されていたからね」
──
ウィンド・サーフィンが得意なんですよね。なんでも、ウィンド・サーフィンの世界選手権のバミューダ代表に選出されたことがあるとか。
「そう。ユース・チャンピオンだったんだ。でも……実はそんなにビッグなことでもないんだよね(笑)。バミューダでは、僕以外にはあと3人しか、ウィンド・サーフィンの選手はいなかったからね。だから、試合で勝つのは難しいことじゃなかったんだよ(笑)。ちなみに世界選手権では、二回戦で敗退したよ(笑)」
──
ボート上での生活が、自身が創り出す音楽にも影響を与えていると思いますか?
「あると思うね。"箱"以外のことを考えるようになった。人間についてよりも、自然の要素について、いろいろと想いを馳せるようになったんだ。禅みたいな、ピュアな瞑想さ。ボートに住んでいることが、僕のクリエーティヴィティに直結したんだよ。周囲の人物や教会なんかから影響を受けるのではなく、あくまでも自然な形でね。それが僕の人生の基本となっている。このことは、僕の創り出す音楽にも、直接繋がっているよ」

 

──
ルーツレゲエをプレイしていますが、ラスタファリズム(*注;ハイレ・セラシエを現人神としてアフリカへの回帰を唱えた、ジャマイカ生まれの信仰。「ラスタファリ」とはハイレ・セラシエの本名。レゲエの精神的ルーツ。ボブ・マーリーが信仰したことでも知られる)については、どうお考えですか?
「信者ではないけれど、ハイレ・セラシエの語っていることは、100%正しい。僕の人生にとっては、そのメッセージこそがすべてさ。僕にとって、ラスタとは、現代と今の世代を表現する上で、最もクリアな表現方法なんだ。僕にすべてを教えてくれるのさ」
──
日本では、今「スローライフ」が尊ばれています。あなたの暮らしぶりも、まさにスローライフといった感じですよね。
「家にいるときは、妻と3人の子供達とゆったり暮らしているけれど、ツアー中は、普段の生活とは、全くの別物って感じだよ。何もかもが、すごく早い! ペースがね。でも、忙しく過ごすというのも、人間にとっては自然なことなんだと思う。たとえ、そこがジャングルの一部だったとしても、仕事をしている方が良しとされることもあるからね。だから、忙しく働くことも、自然の一部なんだよ。でも、大都市では、パーティーに行って、そこで喧嘩が起こったりするよね。それは『エコノミック・ストレス』がありすぎるからなんだろう。政治家が人々に伝えることは、間違っている場合が多い。みんな、一般大衆や、他国のことを忘れ、自国のことだけを考えている。たとえばアメリカ。多くの金を稼いで、それで銃や爆弾を大量生産する。その結果、"戦争も必要さ"ってことになるんだ。でもそういうのは、アーティストにとっては、ベストなことではない。政治家や企業にとって重要なだけであって、人民にとっては良くないことなんだ。その結果、みんなが傷ついているんだからね。だから、人々がシステムに気づき、スローライフの方がベターだと理解し、政治家にプレッシャーをかけることによって、世界は良くなるんだよ。"僕らには、こんなものはいらないんだ!"って言うことが必要なのさ」
──
最新作『アバッヴ・ザ・ボーンズ』の収録曲『ハイヤー・ハイツ』でも、あなたはこう歌っています。「僕らには力があるんだから、あの戦争商人たちを足止めする力が/やつらが僕らを分け隔てしようとも/ジャーの愛は必ず打ち勝つ」と。
「そう。僕らはこう言うべきなんだ。たとえば"ソーラー・カーを作ろう。銃を作るのではなく"とね。なぜなら、僕らは企業を“使って”、すべてを良い方向へ持っていくことが出来るのだから」
──
あなたの歌詞には強いメッセージが込められていますが、観客も、その思想を分かち合っていると思いますか?
「興味深いことに、日本や、その他の英語圏以外の国のオーディエンスは、僕の発している言葉を理解できなかったとしても、サウンドが導くような形で、僕の言いたいことを"感じて"いるんだよね。行動力レベルで、理解していると言っていい。訳詞を読めば、内容も理解できるしね。たとえば、僕はアフリカ音楽が好きなんだけど、歌詞は分からない。でもサウンドが、アフリカ音楽を理解すべく、導いてくれる。これと同じだよね。音楽は、人々が言葉やカルチャーのバリア、すべてを超えて、お互いを理解することを可能にする方法なのさ。歌詞よりもサウンドの方が、より明白に、僕が伝えたいことを人々に伝えているんだと思う。意外かもしれないけれどね」
──
なるほど。だからこそ、アラン・マッギーはあなたのことを「カリブ海で新しいボブ・マーリーを見つけた」って評したのかも知れませんね。
「(笑)それは単なるセールス・トークだと思うよ」
──
アラン・マッギーとの出会いから、ファースト・アルバム・リリースまでの経緯について教えてください。
「初めてアランと会ったのは、彼が休暇でカリブに遊びに来ている時だったよ。僕の姉さんを通じて知り合ったんだ」