09 7/7 UP
Photo&Text:Shoichi Kajino
ヴェルサイユ出身のフレンチ・バンド、フェニックスの4枚目となるアルバム『Wolfgang Amadeus Phoenix』がリリースされた。以前にもこのサイトではレコーディング中の様子をインタヴューとともにレポートしたが、その時点では、まだまだ音の断片であった。そのアルバムがようやく完成型として届いたというわけだ。
2007年の4月、ブランコ、クリスチャン、トマ、デック、4人のメンバーがパリに戻りこのアルバムのレコーディングをスタートした時点から、その完成にいたるまでの間、何度となくメンバーと会い、さらにパリ18区のスタジオを訪れる機会も得た。彼らのレコーディングの様子を写真で記録するためであり、そこで彼らの音楽の生まれてくる瞬間に立ち会うためであった。
3月には彼らのジャケットのためのフォト・セッションを行い、ジャケットのグラフィックについても自らグラフィック・デザインを担当するメンバーのブランコともミーティングした。さらに5月、ツアーの開始と、各国メディアへの取材で追われる中、ヴェルサイユのホーム・スタジオでのリハーサル、さらにフランスの地方都市ランスとロンドンに同行させてもらった(残念ながらそこで予定されていた2つのコンサートはヴォーカリスト、トマの喉の不調のためキャンセルとなってしまったのだが)。
これは自らの愚筆へのエクスキューズでもないが、こんな密な位置にいながから彼らの音楽について客観的なレヴューや記事を書くのはとても困難だ。確かにレコーディング中、その音の断片を耳にする都度、聞きたいことはたくさんあったはずだった。しかし今年1月、マスタリングを終えたばかりのアルバムをメンバー4人に囲まれながらヘッドフォンで聴かされたとき、その音楽自体の素晴らしさに、それを説明する言葉は不要なようにさえ思われて、結局特別にインタヴューのようなことは行うことがないままであった。
それでもこの2年間の間、僕の頭に残っているいくつかの彼らの言葉と、エピソードからフェニックスのアルバム『Wolfgang Amadeus Phoenix』を紹介したいと思う。
まず最初に気になるのは偉大なる音楽家であるモーツァルトの名前をもじったタイトル。ヴォーカリストのトマは『モーツァルト・イン・ジャングル』という80年代のニュー・ヨーク・フィルハモニー楽団についての本を読んでいて何となく思いついたのだと言う。「エレガントな何かというより、アイコニックで混乱を生じさせるタイトルが欲しくて…」と初めてこのタイトルをこっそり教えてくれたのは昨年の10月のことだった。奇しくも幼少の頃のモーツァルトは、オーストリア時代の幼少のマリー・アントワネットに出会っているというエピソードを思い出させる。さらに、このトマがパートナーのソフィア・コッポラと付き合うようになったのは映画『マリー・アントワネット』が直接のきっかけになっていたのは偶然ではないはずだ。
モーツァルトだけではない。このアルバムの冒頭は「リストマニア」というトラックで幕を開ける。これもクラシック作曲家のフランツ・リストへのオマージュ。「リストは今世紀最初のロック・スターだったんだ。僕らはクラシックだけではなく、あらゆる種類の音楽を好きだし影響を受けていると思う。ただクラシック音楽というのは同じ皿に盛りつけるには、あまりにも強烈なスパイスだから、僕らの音楽を聴いてもその表面的な影響は聞こえてこないだろうけどね…」。
この「リストマニア」のヴィデオはドイツのバイロイトで撮られたという。偶然にもクリスチャンがアントワーヌ・アマデウス・ワグナーという青年にあったのがきっかけだったそうだが、彼はその荘厳な名前だけでもわかるとおりワグナーの血を引き、リストとも縁のある血筋の方だったという。バイロイトはリストが生まれて死んだ地であり、彼の記念館もある。さらにワグナーが自らのオペラを建てた地でもある。ヴィデオはそのリストの記念館とワグナーのオペラで撮られた。「そのオベラではそれまでワグナーの曲しか演奏されたことはなかった」というそのオペラの中で歌うフェニックス…、毎度ながらその本物の歴史的スケールの大きさに驚かされる。
つづく「1901」では前世紀の幕開けの年号を暗号のように歌詞に混ぜ込んでいる。「その年は近代の始まりで、パリにとっても明るいエポックな年だったんだ。パリにエッフェル塔が完成した年だしね…」というのはイタリア国籍をもつギタリストのクリスチャン。彼らはその音楽のインスピレーションを得るため、今回スタジオに入る前に様々な場所で共同生活をしたという。「ちょうどそのエッフェル塔の前のあたり、セーヌ川に浮かぶ船の上でも寝泊まりして曲のパートを作っていたんだ。実際には船が思った以上に揺れて、軽く船酔いのような状態であまり良い結果は出なかったかもしれないけどね…(笑)」。
その他にニューヨークやブエノスアイレスへの旅は彼らの音楽の輪郭を形成するために一役買ったようだ。「前回のアルバムはライヴのステージを想定して作って、それを再生するために実際に多くの都市をツアーで回った。世界を旅する機会が増えて、自分たちの音楽を特徴づける“フレンチネス(フランスらしさ)”を再発見できたのは大きかったと思う」と口にしていたのはブランコである。
レコーディングのインスピレーションを得るための時間に長くを費やしたという中には偶然にもスタジオと同じ通りに面する古いアパルトマンの一室もあったという。「画家のギャリコのアトリエだったその部屋で、僕たちはいろいろな曲の断片を生み出したんだよ。とても光の美しい部屋で、たくさんのよいインスピレーションを受けたんだ」(クリスチャン)。