honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」

Mail News

THINK PIECE

ポチの告白

桜タブーをエンターテインメントで暴く。
『ポチの告白』高橋玄監督インタビュー。

09 1/23 UP

Portrait:Kentaro Matsumoto Text:honeyee.com

警察犯罪というマスメディアが手を付けることがない「桜タブー」に鋭く切り込んだ社会派エンターテインメント『ポチの告白』が、完成から3年の時を経て、いよいよ劇場公開される。この野心的な映画の製作を率いた高橋玄監督にインタビューを敢行。エンターテインメントを武器にタブーを暴く、そのメソッドとは?

高橋玄(たかはし・げん)

映画監督。1965年、東京都新宿区生まれ。漫画家を志し、高校在学中に講談社・ちばてつや賞入賞。以後、柴門ふみ、弘兼憲史に師事、アシスタントを務める。1985年、映画界に転向。東映東京撮影所の装飾助手として松田優作監督・主演『ア・ホーマンス』の現場からキャリアをスタート。 1992年『心臓抜き』で劇場映画監督デビュー。監督代表作に『嵐の季節』(1995)、『突破者太陽傳』(2000)、『CHARON(カロン)』(2004)、『GOTH』(2008)。

 

──
『ポチの告白』は警察犯罪という題材に大胆に切り込んだショッキングな内容です。そもそもなぜ警察犯罪というタブーをテーマに映画を撮ろうとしたのですか。
「これまで僕はアウトローやアウトサイダーと言われるキャラクターの映画を手掛けてきました。そのような映画の中では、登場人物が反警察的な台詞を発することが多々あります。そのような映画を手掛けてきて、今度はアウトローやアウトサイダーの対極に位置する警察機構を描きたいと考えたんです。過去の作品があり、そこからの自然な流れです。『ポチの告白』は04年から05年にかけて撮影したものなんですが、2000年前後に警察犯罪が立て続けに表沙汰になりましたよね。そこで、警察犯罪を題材として扱うのにはよいタイミングだと考えたんです」

──
作品では、警察機構とその内部の腐敗、そしてその腐敗に翻弄される人々の姿がかなり緻密に描かれていますね。
「警察犯罪についての話を実際の体験者が話したとしても、世の中に伝わりにくいですよね。例えば受刑者問題というものがありますけれど、受刑者が刑務官から酷い目にあわされた、ということを話したとしても、普通の人は『自業自得だろ』と思ってしまうわけです。僕は映画の世界に入り、その後、独立で映画を撮るようになったわけですけれど、その過程で警察の世話になる人、警察から不愉快な目にあわされる人たちと身近に接してきましたし、僕自身も警察から不愉快な目にあわされることが色々ありました。そこで、自身が身近に感じた、実際に体験した警察の恐さというものを、映画が生み出すイメージの力で世の中に伝えようと考えたんです。その際に重要になるのは『警察は全て悪である』とあえて言い切ることです。普通のドラマのように、良心的な警察官、良心の呵責を感じるような警察官を登場させてはいけない。勿論この作品はドラマなので、『警察は救いようのない悪で、警察の暴走を抑止する役目を司法機関に期待しても無駄なんだ』ということを、イメージを用いて伝えるために脚色はしてあります。ディテールは実際の警察犯罪に基づくものなので、そのような意味では『この作品はリアルだ』という評価をされますけれど」

 

──
実際の警察犯罪に関するエピソードはどのように調べたのですか。
「寺澤有というジャーナリストに原案協力という形で参加してもらいました。彼とはかれこれ15年位の付き合いで、以前から『警察映画を作る時は手伝ってくれ』という話をしていたんです。彼は警察犯罪に関する膨大な資料を所有しているので、ネタには事欠きませんでしたね。心強い人です」
──
実際の警察犯罪に関する資料をもとにして、警察機構の腐敗に翻弄されていく登場人物のキャラクター、イメージを膨らませたのですか。
「ストーリー作りの進め方としては逆です。まずは人間ドラマの部分をストーリーの骨組みとして作ります。それが先程言った脚色の部分ということでしょうか。それぞれのキャラクターは、警察であるということを除けば、組織に使われる給与所得者という意味で、大企業の社員と変わりません。権力を持つ立場の人間もいれば、平の人間もいる。立場の違いでものの考え方や、言い方が変わりますから、まずはそれぞれの人間像とそこから派生する人間ドラマ構築して、そこに実際の警察犯罪の資料から得られたことがらを重ねていきました」

──
登場人物はいずれも人間の中にある「醜さ」や「悪の部分」を醸し出しています。野村宏伸さん演じる山崎が典型的ですが、一見良心の呵責を感じているように見えながらも、最終的には自己保身に走る。
「僕は別に、善悪二元論的に『警察が悪である』とは思っていません。問題は、警察官職務執行法や、その他の法律が守られていないことです。作品では腐敗した警察機構、言わば腐敗した大きなシステムの中で人間が翻弄されていく様子を描いています。過去には僕も人間的に優れた警察官と交流したことはありますけれど、だからといって警察犯罪の問題を見過ごしていいかと言えば、そうではないですよね。この作品で第一義的に表現されていることは、現行の警察機構の違法性で、それは『現行の警察機構を解体してもいい』というくらいの政治的アジテーションに近いかもしれませんが、ただ、運動家のプロパガンダのようになってしまうとテーマや、メッセージは世の中には伝わりません。例えば、(スタンリー・)キューブリックという映画の巨匠がいましたけれど、彼の映画は芸術としての側面から語られる場合が多いのですが、映画のテーマは常に現実の社会とリンクしていて、社会的なテーマを、エンターテインメント性を持たせた影響力のある作品に仕立て、発信していました。そのように、ある社会的なテーマを世の中に伝える時には、映画のエンターテインメント性というものが有効に機能するというわけなんです」