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THINK PIECE

cross point

日本の写真カルチャーに送り出す、ニコイチ写真という試金石

10 5/11 UP

Text: Takeshi Kudo (Rocket Company*/RCKT)

ファッションや音楽の世界でクリエイティブな活動を続けるフォトグラファー、P.M.Ken。
その彼が5月14日(金)から、GALLERY SPEAK FORで「cross point」と題したエキシビションを開催する。
東京と海外で撮影したシティスケープの写真2枚を合成加工するこのシリーズ。
デジタルカメラの可能性を追求し続けるフォトマスターが、作品に込めたメッセージとは。

 

P.M.Ken(フォトグラファー)

1990年、東京造形大学卒業後、フリーのフォトグラファーとして独立。96年、初めての個展を開催。この頃よりMacとフォトショップを駆使した合成写真に取り組み始める。その独特のスキルとアイデアで、「VOGUE」誌や、Dior、m-floなど、ファッションとミュージックビジュアルの分野を中心に国内外で活躍中。

http://www.pmken.com

 

──
まずは、このシリーズを始めたきっかけを教えてください。
「もともとランドスケープは自分の興味から撮り溜めていました。ニコイチにするつもりはなかったんですけどね。みんなそうかもしれないんですけれど、海外に行くと、訪れた街を日本の街に例えていたんです。ここは東京でいうと原宿っぽい、ここは浅草っぽい、とかね。そうやって自分の中にその街の位置づけを作っちゃうと、初めて行った土地なのに急に身近になってネイティブのような感覚で行き来できてしまう。それがちょっと面白くて、この感覚を共有できないかなと常々思っていました。去年の秋頃、あるきっかけでひとつこの作品を作ることになって「あ、これはいいな」と」

──
写真の合成は、もともと身近な手法として使っていたんですか?
「そうですね。合成を始めて10数年経つのですが、まだ写真の加工に見慣れていない頃は、その可能性に皆が驚いていた。背景と被写体を別で撮って組み合わせる、とかね。でも、デジタルで写真をいじっていると切りがないんですよ。ありとあらゆることがコンピューター上でできてしまうから。僕はそんな中でポリシーを設けていて、それは“写真であること”、写真に“見える”ことだった。僕がやっていた合成写真は、厳密に言うと、写真のテクスチャーをしたイラストレーションなんです。けれども、写真のテクスチャーを持っているというギリギリの線を守ることで、写真の範疇に入れてもらおうとしていた。だけど、今やそういうポリシーを定めることすら重要なことではなくなっていて、現に写真なのか写真じゃないのか、非常に曖昧な作品を発表するヴィジュアルアーティストもたくさん出てきている。たぶん、写真という括りでは、この10年であらゆるアイデアがやり尽くされたと思うんです。じゃあ次はどうするか、ということを考え始めますよね」

 

──
そこで生まれたのが今回のニコイチの写真ということですね。
「ヴィジュアルで遊ぶということなんだけれど、遊びにはルールが必要だと思うんです。例えば俳句なら、五七五というシンプルなルールがあって、その枠の中でいろいろな技法が生まれた。写真の場合も何でもアリが極まったときに、どういうルールで表現するか、どういうルールでどう遊ぶか、ということに目が向いてきた。実は何でもアリよりも、ルールで遊ぶ方が奥ゆかしいこと、豊かなことじゃないかと思い始めて。僕の場合、そのルールがニコイチだったということですね。違う写真を何枚か撮って一枚にするのが合成なら、一番根源的でシンプルなルールがニコイチだろうと思ったんです」

──
写真であること、写真に見えることにこだわって、ニコイチというテーマを選んだ理由は何でしょう?  例えばトーマス・ルフのように、テクノロジーを駆使した作品作りの方向性もあったはずなのに。
「根本的に写真が好きなんでしょうね。ある見方をすれば、僕の作品は写真を壊しているとも言えますが。生で一発で素敵な写真を撮る人への憧れもあるし、僕は違う手法でやるというだけのことですね。根本的には写真だと思っていますよ」
──
とはいえ、ニコイチという時点で、もう写真という領域から半歩くらい出ていて純粋な写真じゃないと見る人もいると思うんですよ。その境目をどう考えていますか?
「純粋な写真の世界に憧れてはいますが、その世界に止まっていたくないという気持ちもある。どちらかというと、ファインアートと呼ばれる世界の方が寛容じゃないですか。議論の卓上に乗るなら、アートの世界に身を置きたいという思いはあります。でもだからといって、写真の世界を虐げるとか否定するとか、そういう意味では絶対なくて、否定される世界にわざわざ出向いて啓蒙するつもりはないですよ、というだけのことです」