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THINK PIECE

SUZUKI MATSUO

松尾スズキが語る、演劇界の今。

10 2/25 UP

Photo:Kasane Nogawa text:Eiji Kobayashi

作家・演出家・俳優・映画監督など多岐にわたって活躍する鬼才、松尾スズキ。
昨年、野田秀樹を芸術監督に迎え、小劇場で活躍する若手をいち早く紹介している東京芸術劇場で、
松尾スズキは初めて野田戯曲を演出する。選ばれたのは、NODA・MAPの番外公演として2000年に上演され、
自身も俳優として参加した名作『農業少女』。個性的なキャストが揃う『農業少女』の稽古場に伺い、
現在の演劇シーンの状況、さらには自身の創作の秘密について話を聞いた。

 

──
今回『農業少女』を演出されることになったのは、野田秀樹さんからの提案ですか?
「はい。もともと、野田さんから東京芸術劇場で何かやって欲しいと言われていて、オリジナルの新作をやるとか色々な選択肢があったんですけど、そのうちに『農業少女』をやってみない?という話になり、自分が前に役者として出たのを演出するのも面白いかなと思って、引き受けました」
──
松尾さんは自作以外の作品の演出というのは、過去にあまりやられてないですよね。
「そうですね、同時代人の作品を演出するのは初めてかな。野田さんの舞台は、やっぱり僕の作ってる舞台とかけ離れてるようなところがあるので、探り探り稽古をはじめてますね。何と言うか、拭い去るにも拭い去りようのない高級感と、アカデミックな感じ、あと学歴の高さ(笑)。 野田さんが考えたことなんで、僕の知能がかなうわけないし、だからあえて低学歴な感じで、僕はあくまでもオモシロ目線でいきますよ。ただ、演出には演出の面白さがあるから、今回は自分が出ない分、演出をより楽しめるなと思っています」

──
あくまでイメージですが、以前は「演劇」というと、ストリートの側から見ると、古くさいというか、小難しくてインテリ気取り、カッコ悪いという雰囲気があったと思うのですが、今の若者にとって松尾さんはそういった旧来のイメージを壊した人だと思います。野田さんたちの世代のように学生演劇出身でもなかったですし。
「ある意味敷居を取ってしまったという感じはありますね。どちらかと言えば、という話なんですけど、僕以降の演劇人が、難しい話ができなくなったって言うのはあります。難しい話を信じることができなくなっているというか。僕らは、『新劇』という雑誌と闘ってきたところがあって、それは、すごく憧れもあるんですけど、とにかく評論家が書いてることが何を言っているのか分らなかったし、それって面白いことなのか?って疑問だった。要するに、〈インテリジェンス〉と〈演劇をやる〉という初期衝動が、僕の中であまり結びつかなくて、もう頭のいい“ふり”をするのをやめようと。ただそういう世代が増えてきて、今の若い人たちの対談とかを読んでいると、何でもありの〈野生の王国〉みたいになってきたんじゃないかと思います」

 

──
近年、演劇でも若手といわれる30代が、ジャンルを越えて活躍して注目されています。ファッションに敏感でも今まであまり芝居には関心の無かった人たちも、映画やアートと同じく、演劇も「オシャレなんじゃないか?」と思いはじめている空気はあるのですが、そういった変化は感じられますか?
「う~ん、見に来るお客さんは、昔よりもトラディショナルな感じになっているような気がするんですけどね。僕らもチケットが安かった時代は、すごくトンガッタ若者がいっぱい来ている感じがあったのですが、ここ10年ぐらいは僕らと同じ年齢の客もいるし、落ちついてきましたね。チケット代が高くなり、気軽に若者が見に来れないという問題もあるかと思いますが。ただほんと一時期は、“オレらも頑張んないと、客席のほうがオシャレだぞ”みたいな時期もありましたよ。どう見ても、文化服装学院?みたいな(笑)。でもこの間観た舞台なんかは、ほんと私服で舞台にも出てるみたいな感じだから、みんなアジカンに見える(笑)。アジカンと裏原って全然違うでしょ?! そもそも原宿には劇場ないですしね。やっぱりたくさん劇場がある下北に来る人は下北の格好してますし、明らかに原宿とは違うもん」
──
でも、演劇は生ものですから、俳優も劇団も成長するし、現場で観てライブで体験するということはひとつ面白さですよね。表現として時代ともとても連動しているので、そういう意味ではファッションと近い部分もあります。
「たしかに、初期の頃の“大人計画のブランド”を作ったのは、俺たちと観客なんですよね。俺たちを見つけてくれていたお客さんたちと僕たちで一緒に作っていったものだから、その時期のお客さんっていうのは、なんかヤバい感じしましたけどね。向こうも『見抜いてやろう』みたいな感じで来て、僕らがぶつけて『分かった』て受けとめるという、連帯感みたいなものがありました。ただ、それは後から来た他のお客さんが入り込みにくいムードもあって、内に閉じてしまうことが良いことなのか悪いことなのかということは、俺たちの中でも問題提議としてすごく考えるわけです。やっぱり演劇の特権性みたいな話でいうと、それを分かる客だけが来ればいいという考え方もあるし、その方が表現としてはどんどん鋭くなっていくはずで。ただ同時に、それで閉じちゃっていいのか?という問いもあって、コアな客以外に分からないものをどんどん作っていった先に何が待ってるんだ?と。だから、その葛藤とはいつも闘ってるんですよ。言い方悪いですけど、ファッションでも大衆化していくと、デザインのラジカルさは落ちていきますよね。で、そういって僕らの試行錯誤がごちゃごちゃしてるから、お客さんの層も今は混ざってきています」