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THINK PIECE

Don Letts

多彩な活動を続ける
英パンク界のゴッドファーザー

08 11/26 UP

Text:Mayumi Horiguchi Portrait:Wataru Umeda

英国の黎明期パンク・シーンにおける最重要人物のひとり、それがドン・レッツだ。
1970年代に、この男がパンクとレゲエを結びつけなければ、ザ・クラッシュもセックス・ピストルズも、
'77年にリリースされたボブ・マーリーの名曲「パンキー・レゲエ・パーティ」も存在していなかったかもしれない。
伝説のブティック「アクメ・アトラクションズ」を経営し、ロンドン・パンクの拠点となった<ロキシー・クラブ>でDJをつとめ、
ザ・クラッシュのすべてのビデオクリップを手掛けた映像作家でもあるミスター・パンキー・レゲエ=ドン・レッツ。
まさに「生きる伝説」といえる彼が、ロンドン・パンクの誕生秘話および、自身が果たしてきた功績の数々について、熱く語ってくれた。

Don Letts / ドン・レッツ

パンクとレゲエを繋げたキーパーソンの一人。1970年代のUKパンク・シーンにおいて、多くのバンドの兄貴分的存在として君臨。当時、8mmカメラで多くのライヴを撮影し、ザ・クラッシュやセックス・ピストルズなど、多くのバンドを収録した初のUKパンク・ドキュメント作品「パンク・ロック・ムービー」('78)で監督デビューを果たす。ブラック・パンクの先駆バンド、ベースメント5の結成に携わり、ザ・スリッツのマネージャーもつとめる。'80年代、ザ・クラッシュ解散後にミック・ジョーンズが結成したバンド、ビッグ・オーディオ・ダイナマイト(B.A.D.)のメンバーとなる。B.A.D.脱退後、スクリーミング・ターゲットを結成。また音楽活動と平行して、多くの音楽ヴィデオやドキュメンタリー・フィルムを制作。ザ・クラッシュのドキュメンタリー「クラッシュ:ウェストウェイ・トゥ・ザ・ワールド」('00)で、グラミー賞を受賞する。'05年には、パンクの核心に迫ったドキュメンタリー「パンク: アティテュード」を発表。現在もスタジオワーク/DJを続け、リミックスやコンパイルCDを発表している。'07年には自伝「カルチャー・クラッシュ──ドレッド・ミーツ・パンク・ロッカーズ(原題;CULTURE CLASH-DREAD MEETS PUNK ROCKERS)」を出版。BBCラジオ6ミュージックにて、毎週土曜放送のレギュラー番組「カルチャー・クラッシュ・レィディオ(原題;Culture Clash Radio)」を持つ。今年は様々なフェスに出演し、有名バンドやアーティストと共演、多忙なDJ活動を送る。最新コンパイル・アルバム「ドレッド・ミーツ・グリーンスリーヴス;ア・ウェスト・サイド・レヴォルーション(原題;Dread Meets Greensleeves; a West Side Revolution)」もリリースされた。

*ドン・レッツのパーティレポートを紹介
http://www.dbs-tokyo.com/

*BBCのラジオ番組「カルチャー・クラッシュ・レィディオ」 / インターネットにて試聴可能
http://www.bbc.co.uk/6music/shows/don_letts/

 

──
いつまでも若く見えますが、いま、おいくつなんですか?
「52歳だよ。ロックンロールと同い年さ。1956年生まれだからね」
──
今年は、グラストンベリーをはじめ、色々なフェスに参加して、様々なバンドやアーティストと共演したそうですね。
「ああ。DJをしたんだ。共演したバンドと俺とは"パンクロック・コネクション"があるからね。俺は、1977年に、パンクとレゲエを結びつけた。ザ・クラッシュのベースライン、ザ・スリッツやパブリック・イメージ・リミテッド(P.I.L.)のサウンドには、共通点がある。俺は彼らに、新しいアイデアとカルチャーを提供したんだ。『ジャマイカの太いベース』というものをね。それらのバンドの音すべてに、ヘヴィーなジャマイカのベースが生かされているんだ。彼らはこのベースからインスピレーションを受け、それを実際に自分たちの音楽に使用し、新しいサウンドを創り出したのさ。俺がボブ・マーリーと知り合ったのは、彼がロンドンに住んでいた時期なんだが、最後にボブと会った時に、俺達は口論になったんだ。ボブはパンクロックを嫌っていて、それが原因さ。でも、それから三ヶ月経った頃に、彼は『パンキー・レゲエ・パーティー』という曲を作った。つまり、彼は自分が間違っていたことを、この曲を作ったことによって、自ら認めたというわけだ(笑)。今年のフェスに関していえば、グラストンベリーをはじめ、色々と参加したが、メルトダウン・フェスティヴァルが素晴らしかった。マッシヴ・アタックが今年のキュレーターをつとめたんだが、すごく良かったよ。マッシヴ・アタックやイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)と共演したんだからね! 他の出演者たちもグレース・ジョーンズやファンカデリック、プライマル・スクリーム、MC5と豪華だったよ」
──
ファッション業界でも伝説的な存在となっている、あなたが経営していたロンドンのキングス・ロードにあったショップ、「アクメ・アトラクションズ」について教えてください。
「店が存在していた70年代半ば、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウェストウッドが経営していたショップ『レット・イット・ロック』とか、俺がやっていたアクメ〜みたいな店は、どれもが'クラブ'のような役割を果たしていたんだ。若い奴らが店にやってきて、人々と新たに知り合う場だったのさ。つまり、こういった"ショップ・シーン"から、パンク・シーンはスタートしたんだ。服と音楽は、その両方が、自らのアイデンティティーを爆発させる方法だったのさ」