Don Letts
多彩な活動を続ける
英パンク界のゴッドファーザー
08 11/26 UP
Text:Mayumi Horiguchi Portrait:Wataru Umeda
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- ジョニー・ロットンことジョン・ライドンは、ピストルズ解散後、リチャード・ブランソンとジャマイカを訪問し、これがきっかけとなって、ヴァージン・レコード内に「フロントライン・レゲエ・レーベル」が設立されたんですよね。
- 「ああ。俺もジョンと一緒になって、ブランソン氏に契約することを強く勧めたんだよ」
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- UKのパンク・シーンでは、レゲエを通過した人たちが、後にパンク・バンドを始めています。ザ・クラッシュはその典型的な例と言えますが、あなたと彼らの結びつきはとても強く、ザ・クラッシュのすべてのビデオクリップを手掛けていますよね。彼らとの関係について教えてください。
- 「当時のバンドの中でも、特にザ・クラッシュが好きだ。"俺のカルチャーから受けた影響"を、彼らの楽曲から強く感じられるからね。それに、ザ・クラッシュの音楽なしには、パンクはここまで大きな存在にはなり得なかっただろうからね。ミック・ジョーンズはバンドの解散後、ビッグ・オーディオ・ダイナマイト(B.A.D.)を結成した。ミックは、自分の好みどおりのバンドを作りたいと思ったのさ。ベース・ラインはジャマイカ発、ビートはニューヨーク発、ミックが奏でるギター・サウンドはイングリッシュ・ロックンロール──そういうサウンドのバンドをね。俺はといえば"TV"を作ったのさ。サウンド・エフェクト担当だったからね。それぞれ異なる映画なんかから、台詞なんかをサンプリングしてきて、使ったよ。実に面白いコンビネーションだった。当時俺たちが創り出した音楽的な実験の数々は、いまだに傑出した存在たり得ていると思うよ」