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THINK PIECE

Don Letts

多彩な活動を続ける
英パンク界のゴッドファーザー

08 11/26 UP

Text:Mayumi Horiguchi Portrait:Wataru Umeda

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アンディ・チェゾウスキがオープンした伝説のクラブ、ロキシーでDJをつとめることになったきっかけは?
「アンディは、俺がアクメ〜の店内でプレイしていたダブ・レゲエを聞いていたんだ。ジョー・ストラマーやザ・スリッツ、セックス・ピストルズの連中も、ダブ・レゲエを聞きに店に足を運んでいた。アンディが、ロキシーを始めることを決めた時、俺にこう尋ねてきた。『ドン、俺の店でDJをやってくれないか?』ってね。でも、アンディが俺にそう打診してきた当時は、パンクの歴史における非常に初期の段階だったから、プレイできるブリティッシュ・パンク・レコードは一枚もなかったんだ。だから、俺はロキシーでダブ・レゲエをかけたのさ。そして、パンクスはそれをとても気に入った、というわけだ。つまり、すべてはアクシデントだったのさ。とても素晴らしいアクシデントだったけれどね。そして俺自身はというと、『パンキー・レゲエ』の代名詞みたいな存在になったんだ」
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セックス・ピストルズ時代のジョニー・ロットン、つまり後のジョン・ライドンとは、かなり親しかったんですよね
「ああ。ちなみにジョンは、俺を初めてジャマイカに連れていった人物さ」
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えっ、それ以前はジャマイカに行ったことはなかったんですか? あなたはジャマイカ系英国人ですよね。
「そう、俺の両親はジャマイカ出身だが、俺はロンドン生まれだし、それまで一度もジャマイカに行ったことはなかったんだ。俺は黒人だし、当然ジャマイカには行き倒してると思われていたようだがね(笑)。当時の俺がジャマイカについて知っていることのすべては、映画『ハーダー・ゼイ・カム』だけだったよ。で、ジョンの誘いに乗ってジャマイカに行ったんだが、驚嘆すべき経験だったね。俺の"レゲエ・ヒーロー"たちに、直接会えたんだから!」

 

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ジョニー・ロットンことジョン・ライドンは、ピストルズ解散後、リチャード・ブランソンとジャマイカを訪問し、これがきっかけとなって、ヴァージン・レコード内に「フロントライン・レゲエ・レーベル」が設立されたんですよね。
「ああ。俺もジョンと一緒になって、ブランソン氏に契約することを強く勧めたんだよ」

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UKのパンク・シーンでは、レゲエを通過した人たちが、後にパンク・バンドを始めています。ザ・クラッシュはその典型的な例と言えますが、あなたと彼らの結びつきはとても強く、ザ・クラッシュのすべてのビデオクリップを手掛けていますよね。彼らとの関係について教えてください。
「当時のバンドの中でも、特にザ・クラッシュが好きだ。"俺のカルチャーから受けた影響"を、彼らの楽曲から強く感じられるからね。それに、ザ・クラッシュの音楽なしには、パンクはここまで大きな存在にはなり得なかっただろうからね。ミック・ジョーンズはバンドの解散後、ビッグ・オーディオ・ダイナマイト(B.A.D.)を結成した。ミックは、自分の好みどおりのバンドを作りたいと思ったのさ。ベース・ラインはジャマイカ発、ビートはニューヨーク発、ミックが奏でるギター・サウンドはイングリッシュ・ロックンロール──そういうサウンドのバンドをね。俺はといえば"TV"を作ったのさ。サウンド・エフェクト担当だったからね。それぞれ異なる映画なんかから、台詞なんかをサンプリングしてきて、使ったよ。実に面白いコンビネーションだった。当時俺たちが創り出した音楽的な実験の数々は、いまだに傑出した存在たり得ていると思うよ」