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THINK PIECE

GONZALES

ネガティヴなエネルギーの蓄積が生んだ“ソフト・パワー”真の奇才、
ゴンザレスのポップ・ミュージック

08 5/9 UP

Text&Photo:Shoichi Kajino

──
このポップなサウンドの裏には正反対のパワーがあったと…。
G :
「リードトラックでもある『Working Together』はそういう意味も込めて書いた曲だ。僕はそれまで誰かと一緒に仕事をするなんて考えてもなかった。根本的に“単独主義者”だからね。誰かと仕事するようには設計されてないんだ。僕が他人と一緒に仕事したのは自分を強いてだよ。簡単ではなかった。他人のスタジオのドアを開けて、他人の世界に飛び込むなんて…ね。僕は自分自身のやり方で、自分自身のために音楽をやりたいのさ。僕は負けず嫌いだし、僕がナンバー・ワンになりたい。僕自身がステージに立ちたいし、僕のために拍手をしてほしいんだ。このアルバムで、僕は現在の自分の場所を示したかった。他人の手伝いをすることで僕は突然に名前を知られるようになってしまった。僕は疎外されるアウトサイダーだったのに、今ではほとんどインサイダーだ。僕はそれを望んでいなかったし、僕には苦痛なんだ。このアルバムの“苦痛”もそこにある」
──
そんなにもネガティヴなパワーからこの美しいアルバムが生まれたとは、あまりにも意外で驚きました。
G :
「もし今の状況に満足していたら僕はゴンザレスの名前を捨てて活動するだろうね。というのも、ゴンザレスという名前で活動をしようと思った最初の段階から、あるコンセプトがあって、それは、僕のほとんどを占めるネガティヴなパワーを音楽的に美しいものへと転化できないだろうか…というものだった。僕は礼儀正しい男ではないし、ほとんどすべてのものを嫌っている。それが僕の音楽へのモティベーションになってきたんだ。『Solo Piano』の成功で、『ゴンザレスは穏やかで心地よい音楽をつくる男に変わった。彼のピアノ・コンサートは素晴らしい。歌もラップもいらないよ』なんて言われるようになってしまった。いやいや、待ってくれ。誤解しないでくれ。僕にしてみればピアノ・アルバムもまたメガロマニアを表現する十分な作品だったし、その時点で表現したい音がつまっているんだから。そういう意味では僕は今でもまったくポジティヴにもなっていないし、今の状況を心地よくは思っていなんだ」

──
そもそも2003年にパリに移ってきてからというもの、プロデューサーとしての仕事ばかりだったように思いますが、パリに移ったきっかけは?
G :
「まさにその『プロデュースの仕事』のために引っ越したんだよ。ルノー・ルタンという男に出会ったのがきっかけ。彼はスタジオで働いていて、後に僕のプロデュース・パートナーになった。一緒にファイストの仕事をして、ジェーン・バーキンをはじめ、すべてのプロデュースのプロジェクトは彼が結んでくれたんだ。彼と出会って6ヶ月でパリに移った。最初はベルリンのフラットもキープしていたんだけれど、あっという間にパリで1年半ほど経ってしまった。もうベルリンに用はなくなったと思ったから完全に引っ越したんだよ」
──
パリとベルリンは、ずいぶんと雰囲気が違いますね。
G :
「全く違うね。ベルリンはアンダーグラウンドで、パリはオーバーグラウンドだ。パリにはアンダーグラウンドがないんだよ」
──
え? そうでしょうか?
G :
「ない。全くないね。すべてがオーバーグラウンドさ。ところがベルリンはすべてがアンダーグラウンドなんだ。困ったことにその両極端がミックスすることはないんだよね。例えばパリでは見栄えのいい凝ったデザインのパーティのインヴィテーションが届く。で、実際にパーティに行ってみるとクソみたいなパーティだ。ね、これがオーバーグラウンドさ。インヴィを作るのに時間とお金をかけるんだ。で、ベルリンはと言えばインヴィテーションを作ることさえ忘れている。誰が来ようと来まいと関係ないからね…(笑)。これは問題だよ。まあ完璧な都市なんてないんだから、僕は今、パリにいることを楽しんでいるよ」