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THINK PIECE

NEXT STAGE OF ATAK

「最初の一人になるより、最後の一人になりたい」

09 4/22 UP

Photo:Shoichi Kajino(Portrait) Furuya Takeshi(Live) Text:Tetsuya Suzuki

昨年、ATAK NIGHT3として東京、山口、京都で行われたライブの模様がDVD化さ れ、大きな話題を呼んでいる渋谷慶一郎/ATAK。早くも4回目となる『ATAK NIGHT4 Japan Tour』の開催を直前に控えた今、渋谷慶一郎が考える音楽のネクスト・ステージとは。

Keiichiro Shibuya / 渋谷慶一郎

音楽家。2002年に音楽を中心にデザイン、ファッション、映像など多岐に渡る活動を行うレーベルATAKを設立。また、ATAKのファッションラインより、自身がディレクションを手掛けるTシャツコレクションを展開。Tシャツはhnyee.Storeにて販売中。

ATAK(http://atak.jp/

 

──
レーベルとしてのATAK、そしてアーティストとしての渋谷さんは、いわゆる 「サウンドアート」というカテゴリーの中で確固たる知名度、実力があるわけじゃないですか。にも関わらず、ここ最近は特に新しいフィールドを意識しているように感じます。
「常に自分がいるところに対する居心地の悪さというのはあるのですが、最近感じているのは“単純さ”と“複雑さ”という二項対立では見えなくなってきている部分があるなということです。“複雑さ”と“難解さ”というのは違うと思っていて、“複雑さ”は“豊か”さでもあると思うんです。テクノロジーと音楽の関係で言えば、“複雑さ”の極地に行きたいと思えばサイエンスのカッティングエッジとコラボレートする、というのは必然ですよね。そういった実験とリサーチを何年間かやっていて、そこに成果もあったし、ドラッグ的と言ってもいいくらいの面白さがあるわけです。で、そういうことを続けていくと元々自分がやっていたカギ括弧付きの『音楽』にも違ったアプローチがあるんじゃないかなと気づいて、今はそれが出来るというかやるべき時期なんじゃないかという気がしています。つまり、ずっと進化的というか直線コースを走ってきたけど、今は一回自分がいる場所に穴を掘って、今出来ることの深度を深めていくというのもありなんじゃないかと思ったわけです。エレクトロのアーティストがアコースティック回帰するというのも、それに近いという気もします」
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なぜ皆、アコースティック回帰してしまうんでしょう。
「簡単にさっき言ったような“複雑さ”を得られるからです。ここで言う“複雑さ”は“人間”と同義語ですが、例えば、生で弾いたギターは間違えたり隣りの弦が鳴っちゃったたけでコンピュータでプログラムしたギターより簡単に多くの情報量を得られる。つまり人間や自然が介入するとパタメーターが増えるということです。ちょっと話がずれるけど、雑誌でエコハウスの特集なんかを見ていると、デザインがどれも非常に良いんです。それは、デザイン的なパラメーターに太陽光や風力を取り入れて、自然という複雑さを上手に取り入れているからなんです。じゃあ、その複雑さを恣意的なデザイナーや建築家によるデザインでやろうとすると、80年代的な意味での最悪にデコラティブな『デザイン』に陥ることが多い。そうではなくて、今は意図やコンセプトだけでは生まれない複雑さというのが求められている気がします。音楽で言うと最近はフィールドレコーディンクが流行っていて、小さいHDレコーダーを持ち歩いて、好きな音をみつけたら録音して音楽に使ったりする人たちがここ数年増えています。それは、さっき言ったエコハウスやアコースティックへの欲望に少し近い。で、僕はそれをずっとコンピュータの中でやろうとしていたんです」
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では、コンピュータサウンド、なかでもミニマルな電子音楽がもはや、臨界点に達している感じはありますか。
「ちょっと話がずれるんですが、僕はいつも最初の一人になるより、最後の一人になりたいという気持ちが強いんです。あるものを僕で終わらせたいというサディスティックな欲望があると言ってもいいかもしれない。ATAKもサウンドアートやエレクトロニクスムーヴメントの終わりくらいにスタートしてるし。可能性を見極めた上でスタートしてるから、残るのはATAKとあといくつかだろうと思っていたら本当にそうなった。だから臨界点に達した状態からスタートしているとも言えるわけで、最初から状況というのはそれほど関係ないわけです」
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渋谷さんの、最近の活動や興味はどういった部分にあるのでしょうか。
「去年ピアノのコンサートを行った時、ペダルの踏み方や本当にちょっとした弾き方のニュアンスの違いで同じドミソの和音でも様々な音色が作れることに気づきました。コンピュータの音とピアノをミックスするというよりも全然面白い影響関係で、ピアノはもう30年くらい弾いてますが、これなら全然違う楽器としてアプローチできると思いました。だから、今年の後半はピアノソロのアルバムもリリースすることだし、アコースティックの活動を中心にしようと思っています。それとは別にコンピュータを媒介にしたサイエンスとのコラボレーションやリサーチというのも続けていきたいと思っています。というのも、僕はサウンドアートとサイエンステクノロジーの可能性の極限は見えているんです。それは“一曲一音色”とい うことなんですけど。つまり一つの音色に一曲分の情報量を入れるということです。面白い話があって、今年の2月にパリでコンサートをした後、フランスの原子力開発研究所の中にある、脳機能研究所の研究員から、自分は脳と音感の研究をしているんだけどあなたと共同研究がしたい、とメールをもらったんですね。それで、実際に会ったんですが、僕は脳と音感には興味がないから協力できないけど、音と中毒性の関係というか、例えば一日一回どうしても聴きたくなる音色というものが作れるならその研究には協力したい、と話したんです。それはファシズムや色々なマズイものに接近するような(笑)非常に危険な研究だと思うのですが、興味がある。それができたら電子音楽やサウンドアートにおけるコンサートや曲という単位も変わってくると思います。例えばコンサートだったら完璧な音響環境さえあれば10秒で終わり、ということもありえるわけです。10秒の音色に2時間分の情報量を持たせて、実際に聴いたほうも満足なんだけど、通常の意味で言えば音楽、コンサートどころか1曲ですらないという……、それが究極だと思います」