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THINK PIECE

NEXT STAGE OF ATAK

「最初の一人になるより、最後の一人になりたい」

09 4/22 UP

Photo:Shoichi Kajino(Portrait) Furuya Takeshi(Live) Text:Tetsuya Suzuki

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ただ人間の脳に音に対するケミカルな作用を突き詰めていくと、それは音楽あるいはアートではなくなってしまいますよね。サイエンステクノロジーの研究者はそれで良いのでしょうが、それと渋谷さんが目指すものとのは別だと思うのです。
「それはプレゼンテーションの方法や解決できることだと思いますが、同時に重要な部分ですよね。『アート』や『エンターテイメント』というのは単なる研究やアカデミズムで終わらせない防波堤になるのと同時に新しいことをやるという意味では足かせになる時もあると思います。だから僕自身はそういったカッティングエッジの部分と、いわゆるアコースティックだったりする通常の音楽の深度を深めるという活動を同時にしたいという欲求があるのが最近の傾向です。で、それは今のところ混ぜないで、二つの違う線路のように同時に走らせておきたい。サイエンスとやるほうではもっと過激にいけるところまでいきたいわけです。ただサイエンティストが妄想が強かったり、オカルトに接近しやすいというのも確かなんですが、僕も含めて音楽家ってすごくリアリスティックだから、サイエンティストと相性が良いというのが面白いんですけどね」

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とはいえ、一般的に、サウンドアートと呼ばれているジャンルにリアリスティックな、というと語弊がありますが、少なくともジャーナリスティックな評価というのはあまりない気がします。それはそれ、というか世の中の外部扱いと言うか。
「それはあえて言わせてもらえば音楽/カルチャー系のジャーナリズムの怠慢ということが前提としてあると思います。特に日本はその傾向が強いです。ただ、僕はその状況に対して別にそれでいいとは思っていないわけです。つまり世間の評価なんて関係ない、となってしまうと完全に文脈から外れた意見や評価と接しないわけですよね。それは硬直したアカデミズムと同じで進化がなくなってしまうから。今回で4回目になる『ATAK NIGHT』にしても、自分が満足できるサウンドアートのイベントやコンサートがなかったから始めたという気持ちが強い。つまりフィジカルな快感、体感と音楽的な進化をリアルタイムで提示できるようなイベントがなかった。それにはスピーカー、PAの再生環境が良くなかったら話にならないわけだけど、どれも自分の家のモニタースピーカーで聴いた方が良いような環境でやっていたんですよ。だから、そうではないものをやろうと。ただじゃあコンサートホールが良いかと言うと、エレクトロニクスの場合はそうでもなくて、アコースティックな楽器がよく鳴るように作られているから、電子音は合わないんです。だからもっとフラットな、クラブやギャラリーの様な空間になるべく良質なサウンドシステムを持ち込んでいくところからグレードアッ プさせていって、今回は8チャンネル、つまり八方からフロアを完全にスピーカーで包囲して体感と解像度を極限まで上げることにしました。なので音楽はエクスペリメンタルなんだけどフロアの中はある種のアミューズメントというか、音を極限まで体感できる空間になっています」

 

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クラブイベントとしてやることで、渋谷さんの表現は「ポップ」であるということを言い切りたい、と。
「クラブイベントだから、というのは関係ないのですが来てもらえればこれ以上ないくらいポップな体験だっていうことは分かると思います」
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逆に今のポップミュージックの方がビジネスにとっかするあまり、ポップとは呼べない、ある種のニヒリズムの実践になっているような。
「そう、クラブですらビジネスの傾向が強くなり過ぎている。そういえば、この前カラオケに連れていかれたときにTears For Fearsの『Sowing The Seeds Of Love』とか熱唱したんだけど(笑)、今聴くと驚くほど複雑な構造を持っていますよね。言ってしまえば、ビートルズのパロディというのが表層にありつつも楽曲構造や音像、アレンジは非常に複雑でしかも良いという。にも関わらず、ポップミュージックとして成立していた。本人達は複雑にしようという意識ではなくて、言ってみれば作りたいものを作って売れていたわけです。あのあたりが臨界点というか分かれ目だったのかなという気がします。その後は、どこまで削ぎ落とすというかか、わかりやすく単純にするという流れがミニマリズムとも相まって、結局全部一緒ということになってしまったんじゃないかなと思います」
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比喩ではなく、本当に全部一緒になってしまっていますよね。これでは、皆が目指しているのは実は同じ一つのものなのに、それでは商品にならないから無理矢理バリエーションをつけているのではないかとさえ思います。しかも、それが音楽、映画、ファッションと、全てに言えることだと思いますが、そうやって作られたものを、果たして作品と言えるのかと思うのですが。
「メジャーなものは特にそうなりつつありますよね。いわゆる黄金律というものがあって、そこからいかに外れないか、もしくははみ出さない程度にバリアントをつけるかという。実際、新しいことをやっているアーティストも世界的に減っています。『ATAK NIGHT4』のジャパンツアーでは池田亮司さんと刀根康尚さんと一 緒にやりますが、池田さんはPan sonicが怪我のためキャンセルになったことからお願いしたんですが、Pan sonicと同じようなポテンシャルを持っているアーティストというと世界的に見てもほとんどいないわけです。それで人から言われて気づいたのですが、出演者が全員日本人なんですよね。ただ僕も含めて全員、活動は日本以外のほうが多いです。これは象徴的な気もしています」