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THINK PIECE

History of Lewis Leathers Part1

英国カルチャー史における最重要ブランド「ルイスレザーズ」。
5代目オーナー、デリック・ハリスが語る伝統と革新。

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Text:Andrew Bunney Photo:Tommy  Translation:Mayumi Horiguchi

A :
ルイスレザーズの創業年度はいつになるのですか。
D :
僕のリサーチによれば、商法用語で「有限責任会社」や「株式会社」といった意味を持つ "Limited" が付いていない名称である "D. ルイス" として1892年にスタート。そして拠点となる住所は、常に124 Gt. ポートランド・ストリートだったみたいだね。
A :
1892年には何を作っていたんでしょうか。
D :
1907年に撮られた一枚の写真があるんだが、基本的には、レインコートかトレンチコートといったウェザー・ウェアのようだね。これは、ウェストミンスター図書館のアーカイヴから発見した写真。窓の中にコートが見えるだろう? ギャバジン(*注)製タイプのコートやオーバーコートといったようなものだね。
A :
それは、どのように使われていたのでしょうか。
D :
ストリートを歩き回る際に、寒くないように作られていた。1929年には、社名が「D. ルイス Ltd. 」になったが、その当時、会社では飛行用の服を作っていたことがはっきりしていて、その後もしばらく続いていたらしい。古い広告には、1926年から昔の競技用のモーターサイクル・レーシングウェアを作っていたと書かれている。

A :
その飛行用の服というのは、軍事用だったんですか。
D :
カタログによると、ベルギー、南アメリカなど世界中の各国政府に向けて供給していたらしい。個人での購入もたくさんあったみたいで、個人で自家用の小型飛行機を持っているような人達が、関連商品を買っていたんだ。当時の飛行機はオープン・コックピットだったので、購入するものは最高品質で作られていた――ヘルメット、ブーツ、ゴーグル、グローヴ、つなぎの飛行服、大きな飛行用コートといった品々。その頃、第二次世界大戦が勃発したので、会社はRAF(*注)の契約企業となり製品を作っていたんだ。おそらく具体的には、シープスキンのフライトジャケットを作っていたんじゃないかな。古いD. ルイスの顧客の多くはRAFに入隊していて、兵役中も自分の服を着続けている人が多かった。すべての車はオープンカーで、飛行機もオープン・トップだし、当然のごとくオートバイは全ての要素が開放されている状態なので、初期の頃は自動車運転用、オートバイ用、飛行用の服は、大半が同じ作りだった。だから、そういった乗り物に乗る人々は、できる限り暖かく雨で濡れてもすぐに乾燥するものを欲しがったようだね。

*註3:「ギャバジン」:防水処理された綿の服地(テキスタイル)のこと。
*註4:「RAF」:イギリスの保有する空軍。正式名称は"The Royal Air Force"(王室空軍)。


 

A :
商品の種類はどのように発展していったんですか。
D :
売上高という点からいえば、政府からの注文があったとは言え、おそらく第二次世界大戦の間は少し勢いが衰えただろう。なぜなら戦争中には飛行機を飛ばすことはできず、個人パイロットにアイテムは売れなかった。そういった理由から、ルイスレザーズはオートバイ用の服を製造することにより集中するようになり、以前よりも用途に合わせてデザインされたものに細分化し、特殊化していった。オートバイ乗りには、コートの代わりにジャケットとズボン、あるいは飛行用のつなぎ服といった具合に。

第二次世界大戦が終結すると、オートバイは驚くほど人気が出た。理由は、ガソリンの配給制。バイクだったら一週間あたり1ガロンのガソリンで車よりもはるかに遠くまで行くことができたということもあり、モーターサイクリングの巨大ブームが起こったんだ。このカタログには、その事実が反映されているよ。例えば、1952年には、たくさんのオートバイがあり、そこにはちょっとした飛行用のギアが装備されている。ところが56年になると、ほぼすべての物がモーターサイクリング用のギアになっている。58年ともなれば、店に行けば、まだ買えただろうけど飛行用のギアはすべて消滅。飛行用の製品もまた進化してはいたんだが、プライベート・ジェットのコックピットは覆い囲まれるようになったので、モーターサイクリングだけがこの種類のものを必要とする状況になったんだ。
55年から56年には、少々の現金をポケットに忍ばせたティーンエイジャーたちをフィーチャーした初めての映画『乱暴者』(*注)の広告が掲載されている。戦後になって、ティーンたちは独自のルックを必要とするようになったんだ――短いウェスト丈のレザージャケット――そしてルイスレザーズは、そういった暴走族たちが愛用する初の英国ブランドとなった。おそらく、「10代」そのものを商売に利用した初めての会社だったんじゃないかと思う。
A :
ティーンエイジャーに最も大きな影響を与えたものは、アメリカ製品でした。ルイスレザーズがプロデュースしたアイテムと、たとえばショットやブコ(*注)といったアメリカの会社との間には、異なる点がたくさんあるんでしょうか。
D :
ルイスレザーズはアメリカン・ルックを目指していたにも関わらず、かなり多くの違いがある……。アメリカは第二次世界大戦後に、巨額な出費を強いられることがなかったという事もあり、細部を正確に把握することができない位のすばらしい製品が多く存在していた。リーバイス、カラーテレビ……霧の立ちこめた灰色の街ロンドンに住むキッズたちの大半は、被爆地の中にいてどこにも行けなかったのだが、アメリカに目を向けると、そこにはコニーアイランド、ロックンロールがあり、それこそ少年達がクールだと思えるものだったんだ。

*註5:「乱暴者」:あばれもの、原題 "The Wild One" 。1953年公開。
*註6:「ブコ」:BUCO。伝説のライダースブランド。