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THINK PIECE

History of Lewis Leathers Part2

英国カルチャー史における最重要ブランド「ルイスレザーズ」。
5代目オーナー、デリック・ハリスが語る伝統と革新。

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Text:Andrew Bunney Photo:Tommy Translation:Mayumi Horiguchi

その特徴的なライダースジャケットによって知られているルイスレザーズは、
英国において長く続いているアパレル会社のひとつ。
――戦争、社会史における劇的な変化、流行動向を乗り切り、約120年間存続している。

1970年代に栄華の絶頂を極めたルイスレザーズは、当時、英国内で全国的に直営店を展開しており、
シェフィールド、バーミンガム、ロンドンに6店舗を出店。ショップではブーツ、装飾品、
オーダーメイドのレザージャケットを販売していたが、1986年に全店舗が閉店することに。
しかしながら、オーダーメイド商法を長い間継続し続けたルイスレザーズが、
このほどロンドンに新ショップを、かつての店舗に近い場所に再びオープン。
1981年まで同続いていた族経営が終わり、最終的にはデリック・ハリスが実権を握ることとなった。

ハリスがルイスレザーズのオーナーとなったのは2003年以後だが、 ブランドとの関係は約20年前までさかのぼる。
ティーンエイジャー時代をパンクスとして過ごしたハリスは、数多くの若い人々とロンドン・シーンに関わり、
あらゆる場所に登場した。1990年代、彼は数多くのクラシックUKブランドを日本へ紹介することに貢献。
その後、情熱に導かれ正しい社史、アイテムの発展、英国のオートバイおよびファッション文化における
ルイスレザーズの重要性について研究しつくした。

*5代目オーナー、デリック・ハリスが語るルイスレザーズの歴史の前半部分は、4月14日にアップされたTHINK PIECE「History of Lewis Leathers Part1」に掲載されています。

 

アンドリュー・バニー(以下:A)
60年代までにルイスレザーズを愛用していた若者グループは存在しましたか。
デリック・ハリス(以下:D)
その頃はマスコット(*注1)やプライド・アンド・クラーク(*注2)といった他のメーカーもあったが、ルイスレザーズは巧みなマーケティングを行った上でジャケットを作っていたし、それに品質とスタイリングにも気を配っていた。

主要な場所として、59クラブを挙げることができる。ファーザー・ビル・シャーゴールドが設立したモーターサイクル・グループだ。彼は自らもバイカーだったんだが、キッズ達がみんな“ザ・トン”(オートバイなどで時速100マイルで飛ばすこと)を試みて死んでいく様を見て、どんな危険な状況にいるのか理解していないし、死というものを認識していないと思い悩んでいた。当時から59クラブと呼ばれていたんだが、1959年にファーザー・ビル・シャーゴールドはモーターサイクリストの為にユースクラブを発足して、1962年にはエースカフェに出向し、イーストロンドンにあるこのユースクラブに来るようリーフレットを手渡し始めていた。カフェでつるんでいた若者達の中には彼のことをあざ笑うものもいたが、初日の夜にクラブを訪れて以来、多くの人々が訪れるようになり、ダンスパーティーなども行われるようになった。しかしながら、そういったキッズたちに宗教の勧誘や強制が行われることは決してなかった。それどころかカウンセリングを受けられたし、もし家庭問題などを抱えていたら、警察と協力してキッズたちに指導したりしていたんだ。1962年の後半から、ルイスレザーズもたくさんのジャケットやバッヂ、巻き尺を持参し、教会のホールにあるステージ上に立って、キッズたちの寸法を測った――その二週間後、今度はジャケットを手に再訪したんだ。

ファーザー・ビル・シャーゴールドとファーザー・ハレットは、いつも頭のてっぺんからつま先まで、全身を独特のバイカーファッションできめていた。ルイスレザー、ブーツ、トラウザーズ、そしてその下にはドッグカラーという出で立ち。

ルイスレザーズは59クラブにとても深く関わっていた。リンク・マガジンのスポンサーをしていた時は、全号に広告を出稿していたし、基本的に62年以降に掲載されているヤング・ロッカーズのルックはルイスレザーズ。その頃から月賦払いでジャケットが買えたので、キッズ達はジャケットを入手できるようになったんだ。

それに先立つ話として、我々は既にTTレーサー達にも支給していた。彼らはマロリーパークやブランズハッチ他のサーキットでバイクレースに参加していたので、20~30年代から、ブルックランズのライダーたちに供給していたんだ。それゆえに、ストリート・ライディング同様、モーターサイクル・レーシング用の服というポジションも常に確保していたのさ。

*注1:「マスコット」(MASCOT):ロッカーズ全盛期の60年代、"D. ルイス"と人気を二分したレザーウェアメーカー。
*注2:「プライド・アンド・クラーク」:英国のレザーウェアメーカー。

 

A :
お店に置かれているアイテムは、すべてD.ルイスかルイスレザーズによるものなのでしょうか。
D :
ルイスレザーズはすべてを作っていたよ。ステップニーに工場を持っているんだけど、ここでは全てのハイウェイマン・ジャケットを作っているんだ。我々のブランドの別商品も同じくここで作られている。ハイウェイマンは当初、卸売り専門の品で、国内に6店舗あるルイスレザーズのオンリーショップのみで買うことができた。ハイウェイマンというブランドは、様々なショップに向けて販売されており、まったく同じジャケットだけど、別のラベルが貼られていたんだ。まさにストリート向けで、カジュアル服として使用できた。これもまた、我が社のカタログを見れば分かるが、例えばゴルフ用の服などは、40~50年代に存在していたよ。

また、ブーツはいつでも多彩な色のブーツが揃っていたし、重要な商品だったね。グローブは雨の日用、寒い日用、同様に晴れた日用まである。50年代以降は、ヘルメットの種類も豊富だった。

A :
時が経つにつれ、人々はモーターサイクル・ジャケットをファッションとして買うようになった。
D :
60年代でもすでにそうだったんじゃないかな。ビートルズもバイクに乗っているわけじゃないのに、バイカージャケットを着ている。もしかしたら、暇な時には乗っていたかもしれないけど、別にバイカーとして有名だったわけじゃない。つまり、当時から格好良く見せようとして、レザージャケットを買っていた人々はいたんだよ。60年代後半にはロックンロールの人気は少し衰え始めて、70年代初期はバイカージャケットという感じだった。

よりカジュアルな感じのもの、例えばスポーツマンみたいな軽めのラインのジャケットは、マロリーパークやなんかにバイクレースを見に行く時にぴったりだった。クラブチームの色にすることもできたしね。70年には、ラモーンズがここのレザージャケットを着ていたので、いくつかのバンドを含むイギリス人のパンクスたちも同じ物を欲しがった。ザ・クラッシュ、ダムドのブライアン・ジェームスとラット・スキャビーズ、スティーヴ・ジョーンズがそう。シド・ヴィシャスはザ・スリッツのヴィヴ・アルバーティンから譲り受けた古いドミネーター ジャケットを持っていたはずだよ。レザージャケットは、人に見られるべきものだったんだ。わずかにならアメリカ製のジャケットはあったが、こっちじゃ手に入らなかった。ルイスレザーズは、アメリカのパンクスとは異なるルックをイギリス人のパンクスに与えたんだ。あと、当然のごとくトラウザーズやクリーパー(*注3)といったものはすべて、同様の効果をもたらしたね。

*注3:「クリーパー」:厚いゴム底の靴。