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THINK PIECE

CONTROL

ジョン・ティヴィジョンを「伝説」から解き放つ、イアン・カーティスの「物語」。

08 3/10 UP

今なお、多くのロックファンの心を捉え続ける伝説のバンド“ジョイ・ディヴィジョン”。フロントマンであるイアン・カーティスの自殺によってバンドの歴史に幕を閉じて以来、20年以上経った現在、そのイアン・カーティスとジョイ・ディヴィジョンを写真家として間近で見続けたアントン・コービンがその伝説を一人の青年の物語として、一本の映画に昇華した。

text by Naoko Aono

「コントロール」

監督:アントン・コービン
出演:サム・ライリー/サマンサ・モートン/アレクサンドラ・マリア・ララ
配給:スタイルジャム
2007年/イギリス+アメリカ+オーストラリア+日本
上映時間:119分

http://control-movie.jp/

2008年3月15日(土)、シネマライズほか全国順次ロードーショー
(C) Northsee Limited 2007/12/13

映画「コントロール」は、ジョイ・ディヴィジョンのフロントマン、イアン・カーティスが、カリスマとして熱狂的な支持を集めながらも、妻と愛人との関係に苦悩し、23歳の若さで自らの命を絶つまでの「事実」を描いている。写真家・アントン・コービンが、このデリケートな物語を映画化した意図はどこに?

Anton Corbijn / アントン・コービン

1955年5月20日オランダ、ストライエン生まれ。高校時代音楽を通じて写真の魅力に目覚める。72年、野外コンサートで父親のカメラで初めての写真を撮ったのち、ステージ写真からポートレート写真に進む。79年以来ロンドンに住居を構え、最も影響力のあるポートレート写真家の一人として広く世界から認められている。

1980年の5月18日、人気絶頂だったバンドのヴォーカリストが自ら命を絶った。彼の名はイアン・カーティス。フロントを務めるジョイ・ディヴィジョンはマンチェスターを起点にイギリスで成功を収めていた。23歳のイアンが世を去ったのはバンドが初のアメリカ・ツアーに向けて出発する、その日の朝のことだった。

残ったメンバーは「ニュー・オーダー」と名前を変えて活動を続け、ジョイ・ディヴィジョンは伝説となる。そして27年後、第60回カンヌ国際映画祭で1本の映画が公開され、賞賛を集めた。映画のタイトルは「コントロール」、イアン・カーティスの短い生涯を描いたものだ。妻のデボラと愛人のアニークの間で悩み、原因不明のてんかんの発作におびえ、ジョイ・ディヴィジョンが名声を得るに従ってそのプレッシャーにつぶされそうになる彼の姿が描かれている。

映画はイアンの未亡人、デボラ・カーティスの著書「タッチング・フロム・ザ・ディスタンス」をベースにしたもの。監督のアントン・コービンはオランダ出身、U2、デヴィッド・ボウイ、ビョークらのポートレイトで知られる写真家だ。「コントロール」は初の監督作品になる。以前から長編映画を撮りたいと考えていた彼だが、プロデューサーのオライアン・ウィリアムズから「コントロール」の監督を依頼されたとき、一度はそれを断ったという。

A :
「よくあるミュージシャンの伝記映画を撮ることには興味がない。観客がそのファンに限られてしまうからね。『ロック写真家』と呼ばれるのにもうんざりしていた。僕は自分が何かを感じた人の写真しか撮れない。彼らの作品が人の心を動かすものかどうかが重要なんだ。器用に何でも撮れるタイプじゃないんだよ。オライアンは僕の考えを理解してくれた。それに、自分こそこの映画にふさわしいんじゃないかと思い直したんだ」

彼がそう考えたのには理由がある。79年にコービンがオランダからイギリスに移るきっかけになったのが、ジョイ・ディヴィジョンの音楽だったのだ。

A :
「あのころ、70年代には音楽はとても重要なものだった。とくに僕みたいな人間にとってはね。そんなときにジョイ・ディヴィジョンの最初のアルバム『アンノウン・プレジャーズ』を聞いたんだ。最初にそのミステリアスなジャケットに惹かれた。黒地に白の波形が描かれているだけで、メンバーの写真もない。でもそれが時代精神をよく表していると思ったんだ。当時、僕は英語がよくわからなくて歌詞の内容までは理解できなかったんだけれど、彼らが何か重要なことを歌っているのはわかった。人生にとって本質的なことだ」