イギリスに着いたコービンはすぐにジョイ・ディヴィジョンのメンバーと会うことになる。が、それはとても短い出会いだった。
- A :
- 「彼らには2回会ったけれど、英語がうまくしゃべれなかったからほとんど話はしなかった。1回目は地下鉄での撮影でほんの10分だけ。2回目に会ったときイアンは疲れて、孤独に見えた。でもまさか自殺するとは思わなかったね。僕だけじゃなくて当時彼の近くにいた人もみんな、そんなことは予測できなかったと思う。だから彼の死を聞いたときはものすごくショックだった」
もちろん、イアンの自殺の原因について確信を持って言えることは何もない、とコービンは言う。
- A :
- 「僕には推測することしかできない。イアンが残したノートは誰も見ていないし、デボラも何も語っていない。個人的には彼が悩まされていたてんかんの治療薬の副作用じゃないかと思っている。とくにアルコールといっしょに摂取するとひどい抑鬱状態に陥るんだ。もちろんイアンは他にもいろいろな問題を抱えていた。その中には他人から見れば大したことではないようなものもあったけれど、彼には耐えられないものだったんだ。もし彼がてんかんでなかったら、どこかの時点で家を出て愛人のアニークと暮らしたんじゃないかな」
映画は全編モノクロ。ジョイ・ディヴィジョンが活動していた70年代後半の音楽雑誌にはカラーページが少なく、彼らのような若いバンドはモノクロで撮影されることがほとんどだった。今もジョイ・ディヴィジョンの写真はモノクロのものしか残っていない。映画はそのイメージを引用したものだ。製作にあたってはイアンの実像に迫るため、デボラやニュー・オーダーのメンバーら、彼にかかわった人々に取材を繰り返している。
- A :
- 「僕自身はイアンについて、繊細でシャイな人間だと感じていた。いいヤツだと思っていたよ。でも調べていくうちに、そうではない面も見えてきた。とくに若くして結婚した妻、デボラに対してはひどいことをしている。他にもこうと決めたら譲らないところ、大口を叩いたり、周囲を仕切りたがったりとマッチョな性格でもあったようだ。その一方では勤めていた職業安定所でハンディキャップのある人に仕事を探そうと尽力する優しい面もある。デボラの本は手がかりにはなったけれど、ジョイ・ディヴィジョンのメンバーとしての顔や、愛人だったアニークとの関係など、イアンのすべてを表現しているわけではない。だから映画ではイアンのいろんな側面を表現して、バランスをとろうとしたんだ」
イアンを演じたのは1980年生まれのサム・ライリー。インディーズバンド「10000 things」のリードシンガーであり、「24アワー・パーティ・ピープル」にも出演している。俳優としてのキャリアは短いが、彼の存在感は決定的だ。2 人の女性との関係や病気に悩む姿、ステージでの神がかり的なパフォーマンスなど、死に向かって激しく揺れるイアンの心情をていねいに描き出している。
- A :
- 「サムを選んだのは、イアンによく似ているからだ。俳優らしくないのもいいと思った。プロだとイアン・カーティスを演じすぎてしまうことがある。サムなら未熟な分、かえって自然にイアンになりきってくれるんじゃないかと考えたんだ。彼にはゆっくりしゃべるよう、また映画の最初の方では外向的に、次第に内向的に演技してくれるように注文した。サムはよく理解してくれたよ。でもライブでのイアン独特のダンスは難しかったみたいだけど(笑)」
写真でも光によって劇的な表情をとらえるコービン。「コントロール」でも複雑な陰影を持つ光が登場人物の心情を暗示する。
- A :
- ライティングについてとくに意識したわけではないんだ。ただ、いくつかのシーンで光のコントラストを計算したところはある。たとえばイアンの死の前夜、家でデボラと言い争うシーンではデボラに光をあてて明るく、イアンを暗くした。また愛人のアニークは夕方から夜にかけて、デボラは昼のシーンを多くしている」
コービン自身、とくに印象に残っているのは冒頭で街を歩いているイアンをやや低い位置から見上げたカットだそう。からみあう電線の後ろに鳥がフレームインしてくるシーンだ。
- A :
- 「鳥はたまたま画面に入ってきたんだ。ラッキーな偶然だね。複雑に交差する電線は、イアンが抱え込んでいた複雑な人間関係や感情のメタファーでもある」
コービンの次回作は具体的には決まっていないが、写真から映画に軸を移したいという気持ちには変わらないようだ。
- A :
- 「次は『コントロール』とは全然違うものをやりたいね。フィクションで、スリラーがいいな。できればカラーで撮りたい。いつも新しいことに挑戦して、自分を驚かせたいんだ」