Dick Page reveals his truest colors
メイクアップ・アーティスト
ディック・ページの様々な顔
08 12/12 UP
Text:Tiffany Godoy Photo:Courtesy of Jed Root Translation:Miho Matsumoto
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- マリオ・ソレンティやユルゲン・テラーのように、世界のトップフォトグラファーとクリエイティブな関係を長いこと保っていますよね。それにイネス・ヴァン・ラムズウィールド&ヴィヌード・マタディンとも数多くの仕事をこなしています。彼らと仕事をし始めたときと今とでは、話し合う内容が変わりましたか?
- 「マリオとはDazed & Confusedで10年前に初めて仕事をしたけど、その後は長いこと組んだことはなかった。彼とまた仕事をするようになったのは去年のジル・スチュアートの広告で、それに去年は資生堂のキャンペーンも彼が撮ってくれたんだ。ユルゲンとはもっと頻繁に仕事をしている。彼は僕の1年前にロンドンに移ったんだ。初めて会ったときの彼はまったく英語が話せなかった。彼の一家はバイオリン職人で彼も最初は家業を手伝っていたんだけど、化学薬品にアレルギーがあったんだよね。それでイギリスに移って来たユルゲンに会って、それ以来ずっと友人関係が続いてる。僕はアイディアを思いつくたびに彼に電話して「こんなことやらない?」って提案するんだ。マーク(ジェイコブス)とかWマガジンでやった変なやつね。2、3年前には、僕と(彼のパートナー)ジェイムズでマーク・ジェイコブスのキャンペーンをやったんだよ。42歳でモデルをやったんだ!」
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- あなたとジェイムズのカップルのポートレートはすごくインパクトがありましたね。とてもリスキーだったと思いますが。
- 「あれはユルゲンのアイディアだったんだ。死ぬほど恥ずかしかったよ。ジェイムズは僕より細いけど、それだってモデルサイズではない。メンズのサンプルサイズはヨーロッパサイズで言うと50-52だけど、マーク・ジェイコブスのサンプルは46なんだから!マーク・ジェイコブスのオフィスに行って服を試着してみたら、まるでピーウィーハーマンだったよ」
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- 長年コラボレートしてきた人たちとの関係を聞くのはとても面白いですね。
- 「僕はすごく成り行き任せなんだよね。もっと厳格に仕事を選んで、戦略を立てる人が多いのはわかってる。たとえばヘアメークのルイジ・ムレヌみたいに。彼は毎朝ヘアメークのことを考えて汗びっしょりで目が覚めてるんだと思うよ。わかるんだ。でも僕は『まぁ、何が起こるかわからない。今日も新しいことがあるかもしれない。でもそれに対処すればいいさ』って感じなんだよね」
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- でも日本ではそうはいかないですよね。
- 「日本人はミーティングで絵をほしがるね。『じゃあその人たちはどこにいるんですか?彼女の顔の向きは?着ているものは?ここに商品の写真を入れましょう』って」
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- いい写真は計画していないときに生まれたりするものですか?
- 「そうだね。ユルゲンがダコタ・ファニングを使ってマーク・ジェイコブスの撮影をしたことがあって。それで彼女に合わせてコレクションをほとんど作り直したことがあったよ。LAで撮影したんだ。すごく恐ろしげなホテルがあってね。警備を連れて行って、ホテルの荒れ果てたボールルームで撮影したんだ。そこに行ってみたらユルゲンが階段の吹き抜けを見つけたんだ。コンクリートの床、白いみすぼらしい壁に階段の吹き抜けがあって、そこで撮影した。どこだか検討もつかないような場所なんだよ。どこでもなく、どこでもありうる。最初はボールルームで撮影してたんだけど、最終的に階段に移動した。そこでいい写真が撮れたんだ。あらかじめイメージを固めすぎていると、新しいものは出てこないんだよ」
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- この広告みたいに、あまりメイクが必要ない撮影の場合はどうしているんですか?
- 「彼女のマネジメントから『ダコタはこれを着ます。これは着られません』ってリストを渡されたんだ。でも彼女はまだ子供だから当然だよね。厚化粧させるわけにもいかないし。僕の役割はユルゲンと一緒に仕事をして、チームの一員としてみんなで意見交換をすることだよ。メイクばっかりやってるわけでもないし、それもすごく楽しいんだよ。やらなかったこと、手つかずで残した空間っていうのは、実際に手がけたものと同じくらい大切なんだ。最初にめぐってきたチャンスは、ロンドンで学生のファッションショーを手伝ったときだった。初めて本格的なファッションショーを手がけたのはカルバンクラインだったよ。それまでファッションショーの経験なんてまったくなかったんだけど、エージェントが真っ赤な嘘をついたんだ。そういうわけでカルバンクラインの仕事をやったんだけど、何をどうすればいいのか皆目見当がつかない状態だった。超有名モデルが勢ぞろいしていて…ケイト・モスは15歳で、それ以降彼女を手がけるようになったよ。CKはケイトとか若いモデルをフィーチャーしていたんだけど、カルバンクラインでは70年代に活躍したモデルにスポットライトを当てていた。ドナ・ジョーダンとかドナ・ミッチェルとかね。そりゃあ厳しい洗礼を受けたよ」