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STREET WEAR HISTORY

カルチャーの番人"ロジャー・K・バートン"が語る、
ブリティッシュ・ユース・ファッションの歴史

08 11/5 UP

Text:Andrew Bunney Translation:Mayumi Horiguchi

スタイリスト、コンサルタント、コスチューム・デザイナーなど様々な肩書きを持つ"ロジャー・K・バートン"。
ハニカムブロガーとしてもお馴染みのアンドリュー・バニーが彼を訪ね、ブリティッシュ・ユース・ファッションの歴史および、
バートンがそれらにどのように関わってきたのかについて語り合う。

ROGER K. BURTON / ロジャー・K・バートン

UKのファッション業界において、ユニークな存在であるロジャー・K・バートン。ロンドンのブルーズベリーにある古めかしい馬の厩舎を拠点に、バートンは、記録係、スタイリスト、コンサルタント、そしてコスチューム・デザイナーとして働いている。ヴィンテージ古着の業界でキャリアをスタートさせ、現在はUK、ヨーロッパ、そして日本にある数々のショップに、自らが手掛ける衣服を卸している。映画「さらば青春の光」への衣装提供を打診されたことをきっかけに、「ザ・コンテンポラリー・ワードローブ・コレクション」(註1)をまとめ始め、映画、音楽、テレビに衣装提供をする仕事に乗り出す。そして1980年には、ヴィヴィアン・ウェストウッドとマルコム・マクラーレンがキングス・ロードに開いたショップ「ワールズ エンド」を、1982年には「ノスタルジア オブ マッド」のデザインを手掛けることとなった。彼の拠点「ザ・ホース・ホスピタル・ハウス」内に保管されている、バートンが蒐集した「ザ・コンテンポラリー・ワードローブ・コレクション」は膨大で、1940年代前半から今日までに製作された1万5000個以上のユース・カルチャー関連の衣装が揃っている。

註1:ザ・コンテンポラリー・ワードローブ・コレクション……UKやアメリカのユース・カルチャーを代表する衣装やクチュリエによるクラシック・ファッションのコレクション。


 

アンドリュー・バニー (以下: A )
「服に関係する仕事を始めたのはいつ?」
ロジャー・K・バートン (以下: R )
「レスターに住んでいた時に蒐集品の売店を持っていて、そこでアール・ヌーヴォーやアール・デコの物品を扱っていたんだけれど、これが最初だね。家具やジュークボックス、物品、雑誌、様々な年代物の品を扱いたいと思うようになったんで、1972年に店を移転した。以前は服にまつわる興味深いアイテムをショップに置いていたんだけど、徐々に蒐集品の内訳は服そのものへと移行していったんだ……僕はとにかく、服に関してとても情熱的だったのさ。ロンドンのディーラーが商品を買いにレスターまでやってくるようになったんだけど、それだったら、僕自身が商品を携えてロンドンに行き、いろいろな店を回って売り込んだ方がもっと儲かるんじゃないかっていうことに気づいたんだ」
A :
「そういった服は、どこの国で作られたものだったの?」
R :
「全部、国産品だった──アメリカの原産品じゃなかったし、他のヨーロッパのものでもなかった。主に英国産だったよ。こうした商品を売ることをビジネスにしていた人は、誰もいなかったね」
A :
「当時、どんな場所でそういった服を見つけ出したの?」
R :
「デッドストック品を探すために、イングランド北部を見て回っていたね。『紳士用の洋装店』が、どんな街にも、少なくとも一軒以上はあったんだ。服というものは、時代に合わせて少しずつ変化することを強いられるが、ファッションが流行になるにつれて、サイズ間違いとか、スタイルが古すぎると、そういう商品は売れなくなる。その結果、店は常時、少々のデッドストック品を抱える羽目に陥っていたというわけだ。税金の関係上、そういったものを捨てるよりは、地下の貯蔵室や屋根裏部屋なんかに放り投げておいた方が良かった。そして、現金収入を得るためにセールの時なんかに引っ張り出してきて、再度販売していたんだ。あまりにも極端なものだったから、そういう商品の大半は結局売れなかった。ティーンエイジャー向けのものを探すのはかなり大変だったけれど、老人向けの商品はすぐに見つかったよ。多分、気候のせいだと思うけど、レインコートやオーバーコートはいつでも大量にあったね。でも、ティーンエイジャー向けのものは、本当に貴重品だったと言えるね」

 

A :
「あなたが掘り当てたお宝の山がどんなものだったか、憶えてる?」
R :
「たくさんあったよ。とあるチェーン店が国中にあって、そこはある種のサープラス・ストアなんだけど、90店舗ぐらい支店があったんだ。僕とパートナーは、6カ月間ぐらいの期間をかけて、全ての支店に足を運んだ。ウィガンという街に、ひとりのお婆さんが経営している店が5、6店舗あったんだけど、そこは中古品と新品の両方を扱っているところだった。古いスーツから軍物、炭鉱夫の作業着にいたるまで、何でも揃っていたよ──まるでブドウみたいに、店の入り口に吊り下がっていた。このお婆さんに、大量の品々を僕らに売ってくれるよう同意してもらうまでに、かなり説得したけどね。でも、服の背後には、1950年代物の新品の靴が入った箱なんかが、いくつもあったんだからね! なんとか彼女の信頼を得て中に入れてもらい、店のさらに奥まで進んでいくに従って、僕らもさらに昂揚することになった。だって、どんどん古い年代に製作された服を発見することになったんだからね。ついには、最上階で1890年に作られた、ヴィクトリア朝時代のドレスが入った段ボール箱を複数、発見したんだ。1930年代に、このレディと彼女の夫は、アフリカの植民地向けに商品をメールオーダーで販売していたんだ。代金は当時の価格で6ペンス。その段ボールがまさにそれさ。博物館の展示品が箱に入れられて、その場所にずっと置かれ続けていたんだよ」
A :
「ファッションに興味をもつことになったきっかけは?」
R :
「僕が最初に、服に関わることになったきっかけは、60年代にモッズだったからだね。完璧に恋に落ちていたし、いまでもそれを辞めることなんて絶対できない。あれこそが、僕の初めての『恋愛事件』だったと言えるんじゃないかな。農家で育った僕は、当時登場してきた、新しい種類の音楽を聴きまくった──ソウルやR&Bをね。そして、そういった音楽のユニフォームであるとてもスタイリッシュな服を身につけたのさ。あれは本当に、刺激的なことだった。田舎で育つと、軍モノからは、絶対に離れられないんだよね。だからみんな、グレー、黒、あるいはネイビーといった色の服を着ていたよ」