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THINK PIECE

STREET WEAR HISTORY

カルチャーの番人"ロジャー・K・バートン"が語る、
ブリティッシュ・ユース・ファッションの歴史

08 11/5 UP

Text:Andrew Bunney Translation:Mayumi Horiguchi

A :
「モッズ・シーンとあなたが関わるようになったわけは?」
R :
「レスターは当時、ヨーロッパ内において最も豊かな都市だった。だから街には、多様なスタイルが氾濫していたんだよ。キッズがドレスアップして集う若者向けのクラブに、当時足繁く通っていたんだけど、そこでは今まで一度も聞いたことのないサウンドすべてを、楽しめることができた。僕は徐々に、興味深い着こなしをしているキッズを観察し続けるようになっていったし、様々な雑誌がモッズを取り上げるようになって、うわさも広まっていったんだ」
A :
「そのシーンは大きかった?」
R :
「当時はそう思っていたけど、実際はそうでもなかったね。初めは、かなり小さな規模で始まったんだ──孤立した集団だったね。段々と以前よりはポピュラーな存在になっていって、何百人かの規模になったけれど、それ以上の何かがあったとは思わない。いつだって、小規模な仲間って感じだったよ」
A :
「ロンドン中心の流行だったってこと?」
R :
「レスターはとても裕福だったから、バンドはみんなレスターの出身だったよ。でも、イングランドの中部地方──ノッティンガム、ダービー、シェフィールド、リーズみたいな都市──は基本的に、すごく要求を満たしやすい場所だからシーンが発展すれば、その結果、様々な種類のオールナイターズ(註2)が発生することになるんだよ。積極的なキッズたちは、オールナイト・イベントをオーガナイズして、イングランド北部をツアーしたがる。でも、みんな最先端の店で服を買うために、一カ月に一度かそこら、ロンドンまで巡礼の旅をしなくちゃならない。そういうことさ」
A :
「モッズは今、どうなっているの?」
R :
「モッズとは、スピリットなんだ。人々の精神、心、そして思考の中にはっきりと刻み込まれている。だから『俺はもうモッズじゃない』って言うなんて、ばかげた行為だ──僕は多大な影響を受けた。もしかしたら、以前のようには、ソウル・ミュージックを聴かなくなるかも知れないし、それに、もう絶対にモヘア・スーツは着ないと思う。でも、モッズ魂は今でも僕の中に存在している。服に関する細かい区別や微妙な点について、学べて理解できたということは、僕にとって素晴らしいことだった。その微妙さを知ることって、本当に重要なんだよ。微妙な点について理解を深めることができれば、すごくぶっ飛んでイっちゃってるデザインについても理解できるようになるんだ。何をネタ元にしているかとか、細部がどうなっているかもよく分かるようになるよ。今は、そういう微妙さを見抜くことが、どんどん難しくなっているからね」

註2:オールナイターズ……「夜遊び人種」の意味/ノーザンソウルの人々がよく使う言い回し。


 

A :
「モッズに関する文献を読んでいると、モッズはどんどん髪を短くカットするようになり、スウェードヘッドになり、最後にはスキンズになったとあります。本当にそんな感じだったの?」
R :
「全然そんなんじゃないね。僕の知っているモッズたちはみんな、自分たちの『エトス(=ある個人や社会の持つ精神・気風・風潮など)』を持ち続けて、髪をさらに伸ばして、ダンディーな面へと入り込んでいったよ。彼らの興味は、もっと『ミスター・フリーダム』や『グラニー・テイクス・ア・トリップ』(註3)なんかの方に向いてたよ。僕が属していたグループの同輩たちは、まさにそんな感じだった。あえて言えば、スウェードヘッドとスキンヘッズは、モッズよりも年が若い兄弟にあたるんじゃないかな。ずっと以前の話だからね……僕の観点からすれば、僕が観察していたのは、そういう人たちだったということだよ。

A :
「ヒッピーの起源は?」
R :
「ビートニクだと思うね。オールナイターズ、ソウル、R&B、少しだけビーチ・ボーイズ。そんな印象を最初に受けたことを憶えている。DJが、ソニー&シェールの曲『アイガットユーベイブ』をかけて、打ち上がる。そして思うんだ。『なんてこった——もう何もかもが終わってしまった』ってね。ヒッピーとは、そういう新しいサウンドだった。そして、誰もヒッピーがどんな服装をしているのか知らなかった。それが追憶の中での、僕が見た2人組のヒッピー。初期の彼らの写真を見れば、ビートニクに似ているってことが分かるよ。あのクソな"フラワー・パワー"は、アメリカ発の波だった。すぐさまメインストリームになったが、多分、あのムーヴメントが本当に本流だったから、そうなったんだろう。僕は嫌いだね。僕の記憶によれば、ヒッピーが初めてロンドンに出現したのは、ロイヤル・アルバート・ホールだった。そこではポエトリー・フェスティヴァルが開催されていたんだ。アレン・ギンズバーグが訪英しており、みんなに花を配っていた。1965年から1966年の間に起こったことだ。そういう奴らはチェルシー・アンティーク・マーケットに売店を持っていて、物品を売っていた。人々は区画の回りに列を作り、モロッコやチベット、それに準じた地域で作られたエスニックなものを購入するために並んでいたよ。「エスニック=独特の風俗・文化を保つ少数種族のもの」である服への需要が増え、供給するための市場もすばやく発展した──それゆえ、キングス・ロードを所在地とする重要なショップを運営する人々も、(19世紀に着用された)英国製の紳士用フロックコートやシルクハットといった品々なんかを、店に導入し始めるようになったんだ。最終的には、1920年代や30年代のスーツまでも扱うようになった。そして確実に、人々が特定の時代のヴィンテージ古着を着ている姿を見始めるようになったというわけさ」

註3:「ミスター・フリーダム」、「グラニー・テイクス・ア・トリップ」……ともに、ロンドンにあった伝説的なショップ。