STREET WEAR HISTORY
カルチャーの番人"ロジャー・K・バートン"が語る、
ブリティッシュ・ユース・ファッションの歴史
08 11/5 UP
Text:Andrew Bunney Translation:Mayumi Horiguchi
- ズート・スーツ(1940年代)
- ズート・スーツ関連のものが台頭し始めたのは1930年代。ヒスパニック系と黒人の若者たちが、このルックを流行らせた。ジャズ界、ビバップ(註5)や、新しいダンスの形態であるジルバ(註6)の周辺でね。第二次世界大戦後までは、英国にこの流行の波が押し寄せたことはなかったと思うが、アメリカの陸軍や海軍なんかと一緒に、船に乗ってこの国にやってきた。その他多くのアメリカン・ファッションと同様に。
- 左 :
- 70年代に、イースト・エンドのテーラーで、これを購入したんだ。多分、土曜日の夜の外出時に、これを着ていたんじゃないかな。旧オーナーはおそらくバンドに在籍していたか、ダンサーとか、そういう人だったんだと思う。
- 右 :
- この女の子と同じだね──すごくカレッジっぽい。この新しい音楽のことをよく表現している。ひらひらと垂れ下がるような素材をたくさん使ったデザインだ。
- 註5:ビバップ……1940年代初期に成立したとされる、ジャズの一形態。モダン・ジャズの起源はこの音楽にあるというのが、最も一般的な見解。
註6:ジルバ……社交ダンスの一種。リンディホップ、ジャイヴとともにスイングダンスとして知られる。
アメリカのジターバグ <Jitterbug>から転訛し、日本ではジルバと呼ばれるようになったと言われている。
- スピッヴ(40年代初期〜50年代)
- このジャンルに属するルックは、僕がことさら特別に好んでいるものだ。あまり若者らしくはないがね。彼らは、プレスが名付けた"スピッヴ(SPIV)"という愛称で呼ばれるようになったが、これはVIPを逆さまにしたものだ。ロンドンっ子のやる言葉遊びなんだろう。彼らの多くは徴兵忌避者で、戦争に行きたがらなかった。食料・衣服などの配給制が実施される時代には、いつでも闇市がたつ。彼らはそんな闇市で商売していたんだ。多くの典型的なギャングスターと同じく、彼らもまた、その時代で最も最先端のものを身につけ、装っていた。灰色の英国で、彼らは本当にカラフルだったが、それゆえに非難もされた。彼らは、あらゆる種類の不正な方法で、金儲けをしていた。ナイロンの靴下を女性に売ったり、男たちを監視したり、売春、コールガール、芝居がかった言動なんかをしてね。彼らはかなり極端だったし、退廃的だった──これぞ、まさに最先端。アメリカの強い影響下にあったのさ。
- ニュー・エドワーディアン(40年代後期)
- このルックは、1948年か49年に、ブリティッシュ・カウンシルによる働きかけで登場したものだ。戦後、協議会(カウンシル)は、男性のためのニュールックと新しいシルエットを提案するために、一種のコンテストのようなものを開いたんだ。
- 左 :
- サビルロウ(註7)のテーラー各店は、これを思いついて、ニュー・エドワーディアン・ルックと呼ぶことにしたんだ。主に近衛兵や、スーツに金をかけることを厭わない人々によって着られていた。これは基本的に、ラインが長めのジャケットで、衿はベルベットでしつらえられている。そんなところが、エドワード7世時代(1901〜10)の装いを感じさせてくれるんだ。かなりショッキングだった。なぜなら、それは今まで誰も見たことがないようなものだったからね。メイフェア(註8)周辺で、これを着ている人々を見ることができるよ。
- 右 :
- このアウトフィットは、1940年代後半に作られたブラック・スーツだ。当時はまだ配給制が残っていたので、女性は手持ちの服と交換して、型をわずかに変えたんだろう。
- 註7:サビルロウ……一流のカスタムテーラーが軒を並べていることで有名な、ロンドンの西端にある街路名。日本語の「背広」の語源であるとも言われている。
註8:メイフェア……ロンドン屈指の高級エリア。バーバリーや王室御用達の宝石店、高級ホテル、高級ブティックなどが軒を連ねていることでも有名。