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THINK PIECE

STREET WEAR HISTORY

カルチャーの番人"ロジャー・K・バートン"が語る、
ブリティッシュ・ユース・ファッションの歴史

08 11/5 UP

Text:Andrew Bunney Translation:Mayumi Horiguchi

A :
「ヒッピー・スタイルから、ロッカーズ&パンクスへの移行は、どのように行われたの?」
R :
「2つとも、お互いに同時期に登場したと思う。ノスタルジーを渇望するムードが強烈に満ちあふれていたし、我々のジェネレーションは、1950年代から60年代初期までの間に、テレビや映画で、アメリカ文化にどっぷり触れて育ったからね。こういった時代のユース・カルチャーの世界はすべてが素晴らしい。50年代のものは知らぬ間に入り込み始め、50年代の音楽に多くの関心を持ち、みな学校名の入ったスタジャンに入れ込み始めた。僕もその頃、サテンのベースボール・ジャケットを着ていたけれど、そういう服を着るってことは、当時は女物のブラウスを着ることに等しい行為だったんだ。どんな時代にも、常にオリジナルを身につけたがる人々から成る小さなシーンは存在していたが、トミー・ロバーツは、オリジナルを再生させるという方法により、ファッション・プレスにも容認できる服を作り上げた──明るい色のジャケット、郵便配達人が着るセーターみたいなものをね。『ミスター・フリーダム』が開店した時に、人々はすごくショックを受けたんだ。ある意味、小さなレベルの革命が起こったみたいなものさ。実は英国人は、古着が好きだったことなんて、以前には一度たりともなかったんだ。あか抜けた行為として、実は古着を着ていたりしていたにも関わらずね。『チープ・シック』という題名の本が出版されたことを憶えているが、実は、こんな本が出版された理由として、人々が古着を着るための言い訳を必要としていたという真実が隠されていたんだよ……僕の母親なんか、僕が古着を着るたびに、ぞっとしていたよ──『いやぁ! 死人の靴を履いてるわ!』(註4)ってね」
A :
「そんな中で、パンクはどのように台頭してきたの?」
R :
「ヒッピーへの反動として、進化していったんだと思うね。そう考えると、つり合いがとれるんだよ。君が、当時のテレビ番組を見たと仮定してみよう。ニュースキャスターはみんな、ロングヘアで、幅広のネクタイと幅広のシャツを身につけている。今思うとショッキングだが、それが標準だったんだ。でも、もっとショッキングなのは、ズタズタに髪を切り裂いたヘアスタイルの若者や、つるつるに剃り上げた頭の若者の姿を見ることさ──彼らはまさに際立って目立つ存在だった。とにかく行くところまで行ってやる! そうしたいんだ、とキッズは願っていた。当時は政府への憎しみがあり、非常に攻撃性に満ちていたからね。僕はその頃、大きな規模でヴィンテージ衣類の売り買いができることに喜びを感じていたけれど、世間では、モッズ以前のもの、先のとがった靴、少し女っぽいタイトなズボン──これにモヘア・セーターを合わせて着こなす──なんかを求める需要が、より一層高まっていたんだ。そういう着こなしをしていた新しい若者たちは、ゲイの若者が運営していた、エセックス州キャンベイ・ アイランドで誕生した新しいソウル・シーンへ参加するようになった──ゲイの若者は、どんな時代でもファッション・シーンを牽引する存在だからね。ソウル/ディスコの要素が解体され、パンク・ミュージックに吸収された。攻撃という要素がこれに加わり、『セディショナリーズ』、『アクメ・アトラクションズ』、『スマッツ』といったショップもこれに伴い、キッズを焚き付け、彼らの想像力を捕らえたんだ」

註4:「いやぁ! 死人の靴を履いてるわ!」……「前任者の地位/仕事を受け継いでいる」という格言とひっかけた物言い。
ちなみに靴は、欧米では衣服の一種と考えられ、家や部屋でも寝る時以外は脱がないのが普通。


 

A :
「そういったパンク系のショップとあなたの関係性は?」
R :
「本物のロカビリー・スタイルの衣類を、そういう店に卸していたんだ。まあスタート時は、“需要と供給”が混じったような感じだったけどね。彼らはまず、服をカスタマイズすることから始めて、最終的には、自ら作製し始めたんだ。とある店が、大量のペグパンツの原物を仕入れたが、色は淡青色だけしか手に入れられなかった。だから、『ジョンソンズ』や『アクメ〜』みたいな店は、そういう古いスタイルからインスピレーションを受けて、色をパステル・ピンクに変えてリメイクしたんだろう。そんな風だったけれど、古い品は、以前よりもさらに探すのが困難になっていた。僕には、東京と大阪に店を持つ、すごく良い日本人の顧客がいたんだけど、その手の古い稀少なものを、大量に買い上げていたよ。イギリス人のサイズにはフィットしない、小さなサイズのものをね」

A :
「パンクはすべてを変えたのか?」
R :
「思うに、本当にすべてを変えたと思うね。ユース・カルチャー・ムーヴメント全般を通じて興味深い点といえば、『不正や正義のために戦う』ことを希求し、似たようなタイプの人々で構成されているグループ内で、『個性的だ/ひとりの個人だ』と言いたがっているという要素が、いつでも含まれていることだね。キッズは影響力を持ち、自らの属するパンク・ワールド内で『こう見られたい』と願う服を着ることができた。こういった状況が、パンク・ムーヴメントの時にクライマックスに達したことは明白だ。キッズはやりたかったことをやり尽くした……だからそれ以降の時代には、みんな、パンク・ムーヴメントの時以上に極端な方向へ向かうことは出来なくなってしまったんだよ」
A :
「それ以降は何が起こったの?」
R :
「パンクに続いたのは──ニュー・ロマンティックだね。僕にとっては、古い亜流のグループをかき集め混ぜ合わせて、より芝居がかった感じに仕上げただけのものが、再登場したっていう印象しかないけれどね。でも本当に、あれは単なるコスプレで、意味がないものでしかなかった。登場した時からずっと、ニュー・ロマンティックはお笑いでしかなく、全てのものを死へと向かわせたと思う。もちろんあれ以降にも、多くの小規模なファッションに関連する動きが起こっていることは明らかだが、あの時代に発生したにも関わらず未だに廃れず、動きがあるものは、ヒップホップ関連のものや、グラフィティ・ルックだけだ。これはあんまり変わっていない」